2014/12/08

8. Art performance and Drama performance

8.
先日、ある作品を見たことをきっかけにして、以前からなんとなしに気になっている「美術」と「その他」のパフォーマンスの違いについてきちんと整理しようと思ってはいる。
最初にこれらを区別する必要を感じたのは、教えるためだった。
一応、ファインアートのコースで教えているんだなーというのを意識し始めた時に、迂闊になんでもかんでもやればいい的に教えるのは大学としてどうなんだろう?と問いはじめたのだった。

コンセプトを中心にしたアートのパフォーマンスと、ドラマのあるパフォーマンスでは、構造も訓練の仕方も異なる。
もちろん、それらをミックスしたり越境したりすることはできる。
が、ぼんやりと無意識に越境するばかりでは、やがて個的な思考に降りていく作業は難しくなる。

そこで、それぞれのパフォーマンスについて、平面的/リニアなアートの構造と立体的/ノンリニアなドラマの構造に分けて考えていきたい。

が、今日はこれまで。
あまり体調がいいとはいえず、1日の半分以上はベッドのなかだ。
午後に起き上がって、深夜までは元気だが、明け方からまた痛みやら咳やら気持ち悪さやらとつきあっている。
そんななので、小出しでしか書けそうにない。
続きは、「8」でナンバリングしていきます。

2014/09/21

あたらしい歴史って、どれのことだろ?

次の対話が始まろうとしている。
ふたつ。
だからこそ、体を徹底的に整え直さないと。
にしても、代謝をあげるって難しい。

スコットランドの独立問題を、そんなに追ってたわけではないのだけれど、
「あたらしい歴史をスタートする」って、難しいことだなとおもう。
「独立」が新しい歴史なのではなく、どんなに長い時間をイギリスに従属しても、独立を意識し続けるというのが人間なんだなとおもって。
イギリスに属し始めて現在に至までの「あたらしい歴史」よりも、自分は経験していないが、自分の民族が経験した古い時代のことを意識し続ける。
これは、たくさんの国で起こっていることだ。
もちろん、現実はそんなに甘い言葉で括れず、海域による利益だとかいろいろあるんだろう。

そんなことをつらつらぼんやり考えているときに、緒方貞子さんのインタビューを読んだ。このひと、人間の様々な靄をのみこみつつ、まっとうなことをすっきり言葉にしてくれる。
こういうふうな態度や在り方が当然になるように、、、も日々の運動のように蓄積するしかないのぅ。




2014/09/02

「非社会的なエロスで無ければ耐えられない」を見つめるということ

0.
友人の展覧会に行って、そのあと友人の友人達も交えて呑んで帰って、明け方から咳が酷くて、いちにち疲労で起き上がれない日があった。
季節の変わり目だなぁ。
寒くなるに従って、午前中は咳の疲労で動けなくなる日が増える。
それでも、すこしづつ、すこしづつ整え直していて、一年前よりずっとマシだし、三年前よりかなりマシになりつつある。
もう何ヶ月も脳貧血を出していないのだから、それだけでも本当にすばらしい。


3.3
わたしが、ひとりで外を歩いても、冷や汗もかかず動悸もしなくなったのは、ここ10年のことだ。
女性専用車両で泣き叫んだ人に対して、「他では平気に生活しているんじゃないの?男性差別だ。」と言う意見があるけれど、そういう問題じゃないんじゃないの、と思ったりする。
ある特定の場所がある特定の記憶を引き起こし、生きにくくさせることがある。
女性専用車両というのは、痴漢を未然に防ぐという意味もあれば、過去の被害から身を守るという意味もあるだろう、今回の女性のことは知らないけれども。

TEDで社会学者が語ったという「ポルノが与える社会的な死」についての記事がある。
TEDらしく、特にあたらしいことが語られているわけでもなく、本当に不味いものは落として語っている「きれいな話」の範疇なのだけれども、それでもこの程度のことさえも、世の中でははじめて知ったことのように語られなければならないんだものね。
彼の言うように、ポルノのカテゴリーをネット上で調べてみたら、性のファンタジーがどうしてこうも支配すること/されることに依っているのか、混乱するほどだ。
わたしは、この世界からポルノが強制的に無くなればいいとは思わないし、出来るとは思わないし、ポルノは原子爆弾と違って無くなるとそれはそれで寂しいものかもしれない。でも、理想を語る時には、いつでも「一番の理想」を声にした方がいいと思っていて、それで言うと、道具や動物みたいな典型的かつ暴力的なポルノより、現実の人間的な知恵も体温もあるエロスのほうがいいですよね。
愛があると錯覚できるならなおさら。断然。

でも、本当の問題は、「現実の人間的な知恵のあるエロス」より「非社会的なエロスで無ければ耐えられない」という個の人生に、社会はどうつきあうのか?っていうことです。
TEDの人の理想は、全部を引き受けた理想じゃないとおもうんだ。
世間的には許されない欲求があったとして、それを内々で発散させて抑えこむ力が「疑似経験」や「想像力」なのだ、ということは実際にあるとおもう。
でも、同時に「定型化」された性の欲求を、幾度も表現として刷り込まれることによって、それが「自分の欲求である」、或は「それを社会も暗黙的に許可している」という感覚を芽生えさせてしまうことも事実だと思っている。

表現の効果には、ふたつ以上ある。常に。
そして、だからこそ、分けて対処することは少しはできる。



幼児性愛や猟奇的な事件を描いた漫画やアニメを「表現の自由」だと安易に擁護するのは、人間の自己コントロール能力を信頼しすぎだし、それら周辺的な性の欲求と社会の仕組みをアートだと言って提示するのも、最早、効力のあることとは言えない。

毎日、きついニュースが多すぎるのは、まったく「表現の自由」のもとに流通している表現との因果関係がないとは、到底思えない。
痴漢をすることや、子どもを性の対象にすること、弱いものを拉致して監禁すること、自分好みに支配すること、そして殺人すること、そういった物語が反乱すれば、本来はそれらの欲求を顕在化させなくてもいい人までも「簡単に集中的に脳を染める」という、この現実ならば、少しは社会として向き合う余地もあるような気がする。

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生来的に手放せない性癖と、不用意に育ってしまう欲求とは、社会としてはきちんと分けて対処を考えてほしい。
それが、理想。
こんなに簡単に侮辱的な表現や、子どもを性的な対象にしたポルノが手に入ってはいけない。どうしても必要な人が、いくつかのハードルを超えてやっと手に入れるぐらいにしてほしい。

暴力の対象として選ばれたことが無ければ、どうしてそれが問題なのか、辛いのか、人心を殺すのか、人間にはわからないんだなぁと実感することは日常の中で少なくなくて、口を閉ざしながら途方に暮れる。

公衆の面前で泣いて声をあげなければならないほどに、ネットに「善人の裏の顔」を書き込まなければならないほどに死んだ心を抱えて生きていくことを、多くの人は経験しなくてもいいはずだもの。

2014/08/26

「これっぽっち」のバリエーション

0.
先週はパーティや呑み続きで、料理ばっかりしていた気がする。
初めて一人暮らしをはじめた時は、やっぱり名前のついている料理しか作れなかったし、そもそも料理といって思いつくものは自宅で食べていたものだから、なにもかもが今思えば手が込んでいるか、もしくは大げさだった。
ステーキとか、茶碗蒸しとか、、、、。
そのころによく作っていたもので、「鮭の南蛮漬け」がある。
ふと食べたくなった「鮭南蛮」をアーティスト友たちとのパーティに用意し、「夏野菜の冷やし煮鉢」と「鶏肉のレモンハーブ蒸し」を作ったところで、京都の直己はんがパーティに行くわーと連絡してきたので、あとは魔女に任せることにした。
魔女料理最高。
このために新幹線でふらりである。
人の料理は、どこか気持ちが重たかったりもする。
でも、直己はんに限っては重たさがまったくなくて、呑みながらふらりふらりと作ってくれる。

 週が開けてからは、ハーブをたっぷり入れた肉と豆腐の種を使って、野菜の肉詰めで日々を乗り切っている。




3.2
理解の範疇を超えた犯罪が起こるとき、「異常性愛」がクローズアップされることがある。調べると、多様な性の嗜好があるなぁとも思うし、これっぽっちか、とも思う。
もっと言うと、何に欲情するのか?は本当はグレーの移ろいのように「これ」と取り上げがたい個性そのものに思えるのに、「性のファンタジー」にまで落とし込まれた段階になると、「これっぽっち」のバリエーションになる。
人間は確かに心に闇を持っているし、その闇の多くは、その人の心の中にある「個性的な性の難しさ」と、生来的にも事後的にも、容易に繋がる。
でも、今回の事件はやっぱり、どこかそんな手に負えないようなものではなくて、うまく逃がすこともできた欲求のように見えてくる、だから重たい気持ちになるのかな。

6.2
パーティの翌日は、舞台関係の人たちとのごはん。
といってもその半分は、はじめましてで、不思議な会だった。
いろいろなトピックが出たけれど、 「プロとしての軸」は、キャリアの中で幾度か更新されていくんだろうなぁと、聞いていた。
プライドや拘りがあるのは当然のこととして、全員が一人で自分の看板を掲げて「共同作業」の現場に居るのが、舞台の仕事だ。
若い舞台美術家は、信頼云々は結果論でしか持ちだしてはいけないとおもう、と言って目が覚めるようにカッコよかったし、わたしの知人の"うまくできなかった仕事の話"には「更新する」ことの複雑さを考えさせてくれる。
仕事のなかには、どうしても避けては通れない辛いことが起こることがある。
全力をつくし、プライドをかけ、だからこそ、開かれるはずだった居場所が閉ざされることがある。
他人のそういった話からは、「あなたには必ず本来の実力を提示し直すチャンスが訪れますよ」ということが客観的に見えてくるけれど、当事者であれば、それ以来抱えている虚無のほうが目立って実感を与える。
けれども、最初から仕事に捕われている人間というのは、仕事によって回復する。
そして仕事は、人が人を許してビールに誘い合うような時間に支えられている。

7.
一冊、「移民する本」に関連して読みたい本があるのだけれど、一応学術書らしくって7000円もして、国会図書館にしかおいてなくて、
こういう時に、予算を自分で持っていないと厳しいなーとおもう。
でも、学術書というのもバカ売れしたりしない割に手間隙かかってるのだから、7000円は妥当なのだ。

わたしは学術書を読むことはあるけれど、それは回答では無い。
猛暑が数日は収まるようだ。
広島は大変なことになっている。
回答の無いことに、何度でも向き合わされるものですなーい、夏の宿題でもあるまいに。










2014/08/12

初期条件の作る緊張

0.
とにかく忙しく、作りおきの料理で日々を過ごした。
全部なくなった。
昨夜、どうにも手がまわらずにスーパーで買った寿司を食べたら、明け方に喘息。
数日続けて素麺を食べて発疹を出したばかりなので、気をつけねばのーとは思っていたのだけれど。
ある意味、見事なまでの反応っぷりに感心する。


6.
友人に会うと、なんでそんなにアートに拘りがあるのか?と聞いてくる。
生まれて来る時に持っていた初期条件のようなものでしかないんだろうけれど、確かに、作らないで生きるというのがよくわからないし、作ることのなかには怒りも悲しみも関係のない状況がある。
アートを通して考えることを、気がつくとやってる。
30年やめていても戻れるのが「世間的なアート」であり、いいところだとも思う。
でも、30年考えなかったことは30年後には存在しない。
30年の間の日常ではどんなことがあろうとも、アートを通して変わらずに考え続けたこと、そういうものがわたしにとってはアートなんだろうな、とおもう。
技術とは不思議なもので、15歳の時に描いたようなデッサンを、わたしにはもう描くことはできないだろう。描かないのだから技術は落ちる。
でも、どんな時にもやめなかったことを使ってならば、そのやめなかったことが、いつしかデッサンの役割も担い、最終的には元来のデッサンに別の技術を持ち込む。
そういうところは、生きていればこその実感であり、かけがえのないおもしろさだ。

4.2
ところで、もしも、昔の少女漫画のように「記憶喪失」になったらどうだろう?
いま、わたしが記憶喪失になったら、15年考えてきたことや、その考えてきたことに引っ付いたり、まとわりついたりしている訳の分からない妙な思考と、それらが支えている「私」はどうなってしまうのだろう?
おそらく、ほんとうに忘れちゃうだけなんだろうな。
どんなに強い拘りをもたらす初期条件であっても、消える。
犬の病的な拘りは、緊張状態の現れで、リラックスすることを覚えれば犬は変わる。(とカリスマが言ってた。)

漫画みたいにアートを通して記憶が戻るなんてことは無いような気がする。
脳科学ではどうなのかという問題ではなくて、
揺るんだ記憶は緩んだ記憶のままだろう。
いい悪いじゃなく、緩んだ時から別の時間が流れ始め、かつて拘りと愛を傾けた対象は別の様相を呈して見えてくる。

それに、死にはストーリーがないのだから。
ただ、消える。

だからこそ、おそらく人間は作る。
作る先から「保証」の消えて行く生を積み上げて緊張状態を保とうとする。
そのエネルギーの消費をわたしは制作で行うけれど、
子どもで、他人で、主張で、評価で、
使いきろうとする人もいる。

なにもいらないなぁ、と、やっぱり今日もおもう。
意地悪やいたずらに満ちたものに見つからず、静かにか死ねたら、それでいいなぁという想いの夏が一日一日重なっている。
いつか、どのような濁も怖がらない自分がもう一度現れることがあるならば、それは強くて頼もしいだろうけれど、その時には一体何を失っているのだろう?




2014/08/06

あたらしいの。

0.
砂肝のオイルコンフィとインゲンのおかか和えと、山椒むすびという常備菜セットを作った。暑くて、おむすびを握ってると、状況すべてにムカっとくるほど辛いのだけれど冷凍するならおむすびだな、と最近は決定している。
えー、今更だけれども。
食べにくいものは嫌いなのかも.....。
はるさめサラダを先日つくってみたら、どことなく食べにくい。
麺のくせにすすれないし、でも長いし。
その鬱陶しさにとってかわるだけの、うれしいところがない。
よって、おそらくもう作らない。

税務署に行くはずが、あまりにも暑いので引きこもって制作していた。
役所は、夏は、夕方から明け方にかけて開けばいいのに。
先日、そうやって完成したのを持ってEとの打ち合わせにいくと、計らずもフランスや韓国のダンサーたちとのご飯となった。
その短い出会いのなかにでさえ、動きや時間についての哲学を話すことができるし、死についての告白があるし、
わたしは、この袖触れ合うだけの接触はいつでもすきだ。

5.
そうやって、Eと某プロジェクトのすりあわせ。
英語でのやりとりが、なんとなく無駄をそいでくれる気がする。
「移民する本」もこれからだし、去年の秋から準備を重ねた二件がこうして躍動しはじめていて、それらを支えるための基盤造りも改めて動き始めた。

「移民する本」をやって、自分はアートに関しては徹底的に大丈夫なんだなぁ、とおもってる。
いろんな作品を作ってきて、ようやく自分は「どんなアプローチを取ることもできる」ことがわかったからだけれど、ここでの「できる」というのは、なにをやったって、アプローチの先に見たいものは病的なまでにはっきりとしている、という呆れでしかないにせよ。
どこを通ったって、どんなメディアを使ったって、見たいものが同じで、でも飽きないのは「見たいもののほう」が進化してるからだ。

ほんの一年前までは、作品ひとつひとつが持っている段階は、それぞれ異なるフェーズだった。
これまで常に悩ましかったのは、「深める」という感触が掴めなかったことだ。
ひとつやっては切断し、あたらしいひとつをやる、そんな感じだった。
作品を作るたびに、場所を変えて潜ることはできるけれど、それぞれは個別のそれぞれである、のように感じていた。
これは制作の現実的な問題に通じていて、音や映像を主体にして世界を見聞きしようとすれば、圧倒的に感覚優位のアプローチが出来ない者が作る意味はないとおもう。
けれど、コンセプチュアルな思考にとっての「深める」は、必ずしも感覚の脅威を発見することではないというか、結果的にはそれが無いと厳しいんだけれども、
感覚が無い場合にも世界は存在して作り替えられている、
ということの方により大きな責任を引き受けている、とおもう。
そこのところが、ずっと難しかった。
コラージュや絵画ならば、自分自身と拮抗して深めていくことができるけれど、そうではない行為をどうやって「深める」のか、、、。
それが、15年やってきてはじめて、前の10年とか前の5年とか前の3年に発見した段階を使って次に進む、というのを経験し始めているのかも、と、ふと夕方に思った。









2014/08/04

人間に心があることの強烈さと、犬の記憶

0.
18時には制作を切り上げて買い物に行くか事務仕事をするはずだったのに、気がついたら1時だ。
昨日からずっと作業だったので、腱鞘炎っぽくなっているし、目がかすんでいる。
なんで、ひとつのことしか出来ないんだろう?
同時に5件くらいやらないと、この夏が回らない。

今日は、買い物に行くのも嫌で、なすびのクミン味噌煮と、はるさめサラダと、干ししいたけのレンコン粉スープでのりきった。
それから、キュウリとカルダモンのフレーバーウォーターが、割といいです。

3.1
佐世保の事件のことを、どうしても考えてしまう。
殺された子とその家族のこと、どう想像することもできない。
殺した子のこと、その家族のことを思うと、人間に心があることの強烈さが、わたしの中にも浮かび上がる。
生や死をコントロールしたり、人間のこころの闇を他者から引き出して嘲笑したりする、そういった神様のまねごとをせずにはおられない人がいる。
あるいは、どの瞬間、どの人物にも、そういった「神になる」欲求はある。
ただ、そちらに倒れるかどうか、倒れさせないかどうか、
そこは、群れとしてのコミュニティに力を発揮する余地が僅かであっても存在する。

生きるのはむずかしいんだなぁと。
ただ、そこに生きているものがいるということが、そもそも強烈なんだ。

4
huluで、カリスマドッグトレーナーの番組を見た。
「カリスマドッグトレーナー」って、それだけでうさん臭いが、この人の顔や体のむちむちした感じが、犬っぽくてドキドキする。
「カリスマドッグトレーナー」は犬の記憶を操作する。
犬は過去を忘れることができる点で、人間より進化していると言っていた。











2014/08/01

1の続きと、「道徳や倫理は自分と他者を合理的に守る」について。

0.
今日は、朝も夜も鯵南蛮。
母が送ってきた自家製らっきょうの甘酢が残っていたので、それに漬け込んだ。
甘くて冷たくておいしかった。
おいしかったけど、昨夜、三枚におろして骨を取り除いて作った鯵南蛮がもう無くなった。
はるさめサラダも無くなった。
おとといの常備菜「ゴーヤチャンプルー」も無くなった。
むなし。

1.1
調理をしていると祖母と祖母の家を思い出す、の続きだけれども。
祖母は広島の市街地に住んでいた。
百メーター道路(平和大通り)や本通のすぐ近くの三川町に、小さな家があった。
一階の道路に面した土間は、私が小さいときは花屋に貸し出していて、おばあちゃんちに行くときは、花屋の中を通って家に入っていった記憶がある。
その奥にリビングらしきものと風呂と台所とトイレがあり、二階に上がると二間の和室と納戸のようなものがあった。
昔の造りなので、二階には二部屋しかないにも関わらず、つやつやした柱の大きな床の間っぽいスペースがあり、欄間があっただろうと思うし、膝丈くらいの窓からはすぐ下の路面が見下ろせる。
台所は、東京のわたしのアパートよりはマシだろうけれども、かなり狭かった。
でも、そこから見事な料理がいくつもいくつも出てくる。
晴れがましい料理も思い浮かぶけれど、一番記憶にあるのは益子焼きのココットで焼き上げる卵焼きとか、板酒粕に砂糖をいっぱいまぶしてトースターで焼くやつ。
これらは、ひとりで泊まりにいくと朝食に出てきた。
日曜の朝、和室に並べた布団の中から、おばあちゃんと一緒に「兼高かおるの世界の旅」を見る。窓からは日差しが差し込んでいて、見上げる鴨居だか欄間だか長押しだかには会ったことの無いおじいさんの遺影と能面があり、少し頭を傾けると木の形をした台の上の黒電話が見える。
おばあちゃんは明治の人なので「パンヅ」を履いていない。
朝起きると、兄と一緒におばあちゃんの寝間着を覗いては、「パンツ履いてないー!」と笑い転げる。
たっぷり遅くまでゴロゴロしたら、一階に起きて朝食になる。
自分の家での大皿料理と違って明治の人の食事は、どの料理も一人分が銘々によそわれている。
通りを出ると、昼過ぎには「よそ行き」の顔になる町が、まだ朝らしい空気をまとっている。百メーター道路の角に、ソフトクリームを売っている商店があって、いそいそと買いに行く。

わたしは、この朝の光景を、幾度も幾度も思い出す。
今でも歩いていて花屋の匂いに、あの暗い土間の入り口の光ほぐれる具合に包まれる。

3.
そうこうしていても、女子高生が友達を殺したのだという。
少し前に、ある不正への処罰に関して「決定は決定主の自由なのだ」という茂木さんの意見を目にしたときに、ひとりの学生が「どのように大学時代を過ごそうと(好きなことを優先させることこそは)自分の自由ではないか?大学とはそういうところではないか?」と真剣に問うのを聞いたときに覚えた「自由のイメージ」を思い出した。
それは、どこか一昔前の「アメリカは自由だ」という言葉に込められた日本の側からの「自由のイメージの時代」を彷彿とさせた。
わたしが子どものころに想像するでもなく想像した、バブルなというか、外国はアメリカとフランスだけ、みたいな時代の自由だ。
今の五十代くらいの人々の青春時代に抱いた自由のイメージは、もしかしたらその自由かもしれないなとフト思ったのだけれど、あれから時を経て、わたしたちは「例えたってアメリカの自由もそんなんじゃない」ことをいつの間にか知っているはずだ。

と、この話題と不正と殺人事件が繋がっているという話ではないのだけれど、すこし繋がっているような気がしていて、それは「道徳や倫理は自分と他者を合理的に守る」ために発達したんだろうな、という感覚に通じている。
道徳や倫理と自由はもちろん繋がっている。
必須条件というような繋がり方ではないにしたって。

「道徳や倫理を守るのは格好悪い」という感覚を十代の頃に抱いた経験がある人は少なくないのではないかとおもう。
なにしろ、ここには制服だの校則だの、いろいろありすぎる。
でも、道徳はかっこいい悪いでいうと、「強く他者と自分の関係を守る手段」として、
一度は身につけておくと得策というようなカッコヨク使うことができる仕組みなのかもしれないが、
もしも、親がそのことを感覚的に理解しておらずに、自己を優先させる自由しか知らなかったならば、抑えがたい欲求の方に世界が倒れてしまうためのハードルは下がっているのかもしれない、「自由の証」として。




2014/07/31

自分で考えたことを語る。

1
記憶を数日ほど失っていたような目覚めである。
体の不思議だ。
女性は、様々なホルモンによって周期的に身体がぼわっとしたりしなかったりするし、最近では低気圧の影響で、目が見えにくくなるとか頭痛が酷くなるとか、周りでもよく耳にする。
わたしは、そうやって何かの影響で知覚が重くなっていく時の移り変わりにはあまり自覚的にはなれなくて、あるとき、さーっと靄が晴れてやっと、あ、さっきまで(何日も)見えてなかったし、聞こえてなかったんだ、と気づく。

暑さ寒さの盛りには、台所に立つのが億劫になる。
7月の制作集中の「いい加減食」を切り替えようと、昨日から、またちゃんと料理するようになったのだが、外から疲れて帰ってドアを開けた家が熱気でもわっとしているなかでは、もう本当に心の底から台所なんて立ちたくないし、アイスだけ食べられたらそれでいいような状態になる。
うちは台所が狭いので、普段から何をどの順番で作るか?という手順が重要なのだけれど、それに加えて夏は食中毒に注意するために、肉や魚の処理を最後にしたいし、最後に出来なければ(そうしようと思ったら3時間は作業せねばなるまい)、しょっちゅう熱湯で器具を洗い流しながらあれこれを調理せねばならなくて、心底憂鬱になり、出来上がった時にはますます食欲なんか消え去っていて、ただぐったり疲れている、というのがこの二日のことだ。
なので、作っても食べず、翌日の朝か昼に食べている。

そのようにして、weckの本に載っていた「鶏のレモン蒸し」をアレンジして三瓶つくった。
レモンを6月に仕込んだ「塩レモン」に変えて、ワインはアレルギーなので日本酒にして、レモンバームやカルダモンやタイムやローズマリーなどのハーブを数種類と実山椒、レッドペッパーを散らして蒸した。
一瓶を食べてみたら、おいしかった。
とっても。
こういうのは、その時々のハーブの組み合わせだから二度と同じのは出来ない。
塩レモン、優秀だ。

わたしは、わたしの作る料理がすきだ。
でも、他人にもおいしいのかどうかというと、実際のところ、よくわからない。
ハーブやスパイスが効いたこの味を、実家の父や兄なんかは絶対に嫌いだ。
そう思うと、暑いわ寒いわのなかで一年中、文句言い放題の全員の好みに合わせて調理をする「家族の中の料理人」にはますます敬意を感じるしかなく、そういう想いにかられる時にはもちろん母のことを心にイメージするのだけれど、
でも、調理している時にはなぜか祖母の姿が浮かび上がる。

祖母は、年をとってから後の長い時間を一人で暮らした。

2
と、ここまで書いたところで友人から電話があり、いろいろおしゃべりしたら、
とりついていた疲れが吹き飛んだ。
不思議なことにB&Bでの一夜は評判が悪くなく、足を運んでくださった人々から感想をいただいている。
他のイベントとの違いは自分ではよくわからないのだけれど友人はさすがで、様々な視点で何が客席に起こっていたかを教えてくれた。

今回、拘ったことがある。

根拠の弱いこと、論理の通っていない考えを、語ることをする。
そして、曖昧ならば曖昧なところをスタートに語り、曖昧では無くなるところがあれば詰めて曖昧にしないで語る。
わたしは私が考えたことを語る。
いつも敢えて目指さなくてもそうしてきたつもりだし、誰の仕事もそうであるべきだと信じているが、今回は、わたしは、その他の何が成功しなくてもいいけれど「絶対そうする」。
その地点を毎晩毎晩目指して準備したら、稽古しないのに稽古のある作品並みに疲れた。

数年の間、データから作られる音や映像に向き合った。
システムとロジックが構築されて、半ば自動的に中身が生成される世界だ。
今回は、ある意味でのシステムは作るが、中身は自動生成されない。
古くからある「人間に大量にうごめいている、よくわからない中身」しかない。
そのよくわからない中身について語っていいのがアートである、ということだけを心に置いて語った。
これは、「美術とは何か?」という数年来の自分への問いに対するひとつの回答だった。
平凡だけれども、広がりのある回答だった。
そして翻って、自律システムと向き合うおもしろさを、自分の内的には確認した。












2014/06/22

移民する本 migrating books

7/5-7/13 移動と所属と経済を巡る指示書作品の実行。
7/13(日) 19:00- , レクチャーパフォーマンス 



---

あたらしい作品、というのはあたらしい仕組みを作ることからはじまる。
わたしの場合はずっとそうだ。
ここ15年。
今回は、初回である東京バージョンに参加してくれる人々に多少なりとも負担が一番、かかる。
あらゆるフォーマットを作りながら進んでいるので。


わたしは、アートは答えのわからないことを抱え続けるために形にするのだ、と思っている。
形にして初めて生まれる理解がある。
理解があればあたらしい疑問がある。
だから、答えがわかりきっていることをやることはない。
そして、もしもアーティストが「変化する本」を作るといったら、それは本当に変化する余地をもたなければならないし、「私が他者に奪われ行く仕組み」といえば、本当にその仕組みを些細であっても作らなければならない。


いくつか地味ながらも、すきな試みが入っている。
それはおいおい時間をかけて、現れてくるものだ。
楽しみにしている。


2014/03/28

基準のわからぬこと。

先日、アイザック・イマニュエル @STに行くも、始まってすぐにひどい貧血が兆しはじめ、休憩中に薬をのんだんだけれど効かず、途中で退出するはめになった。
出たはいいけれども、外で横になれるわけでもなくて、どうにか電車の振動には耐えられたので都心まで戻って来れた。
こんなことはいくらなんでも初めてで、見れなかったことも含めてショックだった。
観劇は、湿度と体温の調整がむずかしい上に、じっと座っていないといけないのでプレッシャーが高い。
ちょっと良くなったからといって、まだ体調を過信してはいけないのだった。
ゆっくり、しっかり整えていかねばなりません。

今日は体調もよく、都内の展覧会をまわった。
工藤哲巳、泥とジェリー、filmachine、さわひらき。
最後のオペラシティの後で知人に遭遇して、おもわず一気に感想をしゃべってしまった。
『泥とジェリー』はオマケで見たのにとてもよかった、のは、私のなかに豊かな物差しがある作品群だったからかもしれない。
そして、10年前には「古かった」 だろう工藤哲巳の科学や思想を「表現する」作品が、情報をそのまま経験することができるメディアアートの時代を経て立ち返ることで、「表現する」の豊かさを見せてくれたこと、
「記憶の主観的な語り」をさわひらきさんで見て、「時間を経験すること」そのものがfilmachineにはあるので、このふたつを同日に見れたのは個人的に良かったこと、
そんなことを、短い時間に話した。

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物差しがあるというのは、ジャッジに迷いが無いということかな。
人にはそれぞれ、「一般的な基準」がよく分からない分野 があるのだと最近、よく考える。
苦手なことには靄がかかってしまって、嘘をついているわけでもないのに判断が一瞬遅れることで誤解を生んだりする。
わたしにもある。
耳を傾けて時間をかけて対応すべきことなのか、即座に引き上げるべきことなのか、イマイチわからない問題の出方があるし、
表現の質感やコンセプトや構造のことを「作り手」の視点として深く深く見て取れるのは平面、ハプニング、イベントの仕事でならすんなり わかる けれど、音や演劇になると、ひとりの「見る側」としての物差ししか持てないだろうし、
言葉が生むズレはいつだって深刻に襲いかかる。

反対に、深くまでジャッジを幾通りにも効かせられる分野もある。
お菓子は本を見てもつくれないけれど、料理は素材から「わかる」。
他人の抽象的な思考と世界を言葉で結びつけ直す、そのあらゆる段階での景色がひろびろと見えることはしばしばある。

物差しのうまく働かないことのほうが外で目立てば、生きにくさに泣かされることも、嫌というほど知っている。
けれど、13ヶ月もすれば40歳なのだ。
互いに基準のわからぬ物差しを使っておもしろく笑っていられる場が、「いい加減」 と「真剣」のよき案配のなかに生まれてくるだろうよ、そろそろ。

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もうすぐ制作のあれこれが加速し、人の展示を見に行く余裕はなくなる。
ほんとうに長いこと、演劇やライブに行くのがセイイッパイで、美術展まで足が伸ばせていなかった。
10年単位でのさまざまな経験が整理され、冷静さがあり、手と頭と言葉で作ることがただひたすら毎日の時間に戻ったこの春を、うれしく感じている。

3月は、復帰へむけて日記をこまめに記してみたけれど、また元のペースに戻る予定です。










2014/03/16

道徳ベッド

道徳で出来たベッドで眠りたいと思ってたころがあった。
道徳で出来た家のなかに、静かにある。
ひとりになることができる。
退屈でもいいから、醜い言葉や蔑みや嘘のない場所で、一瞬でも安心したかった。
ほんとうに、一瞬で、よかった。

嘘が起こる場所では、ニュースになることのない誰かが、
そんなふうに夜を過ごしているんじゃないだろうかと、ふっと、あの日々に夢想した道徳で出来たベッドを思い出す。
emblem は、あのベッドでもある。
泣かないで。

2014/03/05

Graphis入選


昨年の作品のポスターが、N.Y.で発行されているグラフィックの年鑑Graphisに入選したそうです。
わたしが制作したコラージュとタイトルを使って、グラフィックデザイナーの小熊千佳子さんがフライヤーとポスターにしてくださいました。
それを、「「ネンカン」に応募します」というのは聞いていたのだけれど、正直「年鑑」がいまいちイメージできず、何かに応募するらしい、とだけ理解しておりました。
世界中から応募のある歴史の古いコンペなのだとか。
とにもかくにも、おめでたい。

わたし自身は基本的に賞的なものには応募しないので、
こうやって手間をかけて作って応募して、結果をだしてくださるというのは、想像外のうれしさ。


2014/01/26

虚ろな[site]

年末に、Nさんにおすすめされた『地図と領土』がおもしろくて、アーティスト友達に勧めたらやっぱりおもしろかったらしくて、お。語ろうぜ、呑もうぜ、と原美術館へ。
つまり、原美術館:ボレマンス→写美:高谷史郎→GP:港千尋、と移動しながらつらつらつら『地図と領土』について話していた。

ボレマンスの色彩は、わたしの好みではない要素も持っている。
でも、全部を見終わったそのとき、「意識とは何か」というこの数年の問いにひとつの回答がもたらされたように思った。
MTM、アンドロイド演劇、音の海、、、これら各々を経験する中では点でしかなかった認識が、絵画を見ることで"繋がって"理解できたようにに感じられたことが、自分にとってはなんだか象徴的だった。
古い馴染みの眼鏡を通じてはじめて、現在に張り付いていた曖昧さが過去の歴史に組み込まれたような、そんな感覚なんだ。

[MTM]や音の海では身体の欠如が、
アンドロイドではぶれない存在の仕方が、
意識を迎え入れる"虚ろな[site] "の役割を担っていた。
そして、そこに入っていくのは、それら仕組み自体が生成する意識 だけではなく、
鑑賞者の意識を引き連れざるおえない。


加えて、同じ日に見た「デジタルデータを変換する作品」(展覧会のうちの数点)としての高谷史郎さんの試みもまた、わたしにとってひとつの区切りだったよう。
データの数が多いとか、変換のルートが多いだとか、ノードが多様だとか、
そういうことから「意識」がたちあがることは無いとは言わないけれども、
それ(=意識)に接した「私」が動揺するほどの肌理を持ち得るかというと、やっぱり相当むずかしい。
コンピューターとかインターネットから生まれる意識が「心の病」を生じ、
その病を介して「自他の境界」を拮抗する振る舞いを感じさせるに至れば、話は変わってくると思う。
もちろん、可能性を信じて目を凝らすところからしか開かない未来がある。
でも、わたしの仕事ではないよね、と冒険の果てに思ってる。
いまは、人間のほうが、おもしろい。
西洋の「人間讃歌」とは違う意味において。

人間は人間の成すことを嫌悪することができる。
アンドロイドに対峙した俳優は、目の前のアンドロイドと、闇の中の私という二つの基準を見つめながら、異なる「私(役)」を表出させていく。
その複数の私を通過する手順は、病の誕生に関与している。
たぶん。

そんなことをぼんやり、としかまだ考えられないのだけれど、メモのために残しておこう。
もうすこし整理して言葉にしてみたいな。
でも、いったい、ほんとに、こんなこと考えたからってねぇ......
 










2014/01/09

「かぐや姫の物語」

テキストと格闘し疲れて、ふと水曜だと思い出し、おもいきって休憩を取ることにした。
水曜は女性割引をしている映画館が多い。
年末に、絵画科の先生が絶賛していた「かぐや姫の物語」を見ることにした。
映画館につくと、両脇を母娘の二人組に囲まれて座るはめになった。
左手の母親はポップコーンをすごい勢いでむさぼるように食べて娘に呆れられ、
右手の母親は芸能人を「さんづけ」で呼んできゃっきゃと娘に語りかけるという、
なんだか両極端なふたりだった。

絵がよかった。
風景画を描いているときの独特のよろこびや、子供の頃に虫とりやおままごとをして遊ぶ傍にある植物のみずみずしい親しさが、スクリーンから溢れてくる。
かとおもえば、異界に接する際の描写の素朴さは寒々しい。
生と死の際に立つさびしさが、ひらひらと翻る一枚の布の裏側をみせるように、随所でハッと、一瞬現れるのだ。
物語の最後、姫は地球の記憶を失って清らかな月へと帰っていく。
それと対局に、姫を育てた老夫婦は、これまでの思い出と共に地上に遺されてしまう。
どうしたって、死んでいく娘と、それを見届けなければならない親のくるしさをみるようだった。

忘れられない記憶の塊を持て余し、
その塊にどうつきあっていくのか?という問いに答えを出せないまま、
日常を繰り返すようになって久しい。 
だからか、姫が記憶を失うことに、うらやましさに似た感覚を覚えた。
けれど同時に、この俗物的な記憶の塊を、
いつかわたしも奪われる日がくるのだということを姫の顔の稜線に発見すると、
果てしなくさびしくてさびしくてうろたえてしまう。
それが死なのだとわかっている。