2013/10/18

名もなき人たちのテーブル

オンダーチェの「名もなき人たちのテーブル」を読んだ。
電車の中や、眠る前のひとときに。
最初は、美しいけれどよくある「海と少年」の話のようだったのに、ある局面から物語は物語を超えて「まるで私のこと」を語り始めた。
様々な記憶の断片が加えられるうちに、誰かの肉体によってはじめて許される心の解放の一瞬や、それがすぐさま過ぎ去ることや、心を奪うものと奪われるものの関係、権威があることで浮かび上がる名もなき人たちの多様さ、諦めるしかない別れ、どのような金や権威や色香を使っても手に入ることのない芸術との一体の喜び......
これらの断片の間から溢れて襲ってくるのは、支配と自由の繰り言のようだった。

読了したのは夜明けで、眠らなければならないのに眠ることも叶わずに、そのまま仕事にむかった。
ふと、道を変えて歩いてみたら、窓の向こうに人が見えた。
硝子の向こうに見えた光景もまた歩調のままにすぎていって、
現実の出来事とはいったいどのような感触がするのか、
もはやわからなくなっているのだと、そんな遠さを感じる朝だった。

2013/09/24

「グッド・タイミング」稽古

急に寒くなったからか、久しぶりにカメラを2台と三脚を抱えて移動したからか、すっかり疲労で倒れ込むように眠った。
体力が落ちている。
カメラを2台を抱えての移動の理由は、青年団の松田弘子さんをゲストに迎えて、細馬さんとやる「グッド・タイミング」こと解析ショウ(WWFes 2013)のための取材と稽古らしきもの。
何年ぶりかに「インタビュー・ショウ」の簡易版を用意しています。

アンドロイド演劇「三人姉妹」にも出演している松田さんのお話、ぜひ聞きにきてほしいのです。
人間、アンドロイド、そして「心のやわらかい部分」の話をしています。
これまでも、ロボットが人間の感情を開く事例について興味深く聞くことはありましたが、今回、「役」と「私」の境界線まで巻き込んでこの話を聞けているのがすばらしく、

私が持っているテーマとがっつりはまってきているのかもしれない。

稽古をしていてふっと取り戻す感覚も、おもしろきもの。
インタビュイーと離れて立つと、自分の考えがほんの少し先立って、対話の流れに手を打つような「メタな視点」がでてくる気配がすることを稽古で思い出しかけたり。
とはいえ、あくまでも「解析ショウ」なので、インタビューを作品としてやるということではないのですが、考えたいことが出てくるというのは贅沢な証で、逃さないようにせねば。

トライアルの大きかったこの5年の自律システムとの活動を経て、もう一度、かつてやっていたインタビューに向き合えているのって、ギフトのようなものかな、と。
過去を吐き尽くすように切り離して、ひとりで前に進むしかなくなるとき、くるしい。
くるしくてくるしくて、たまらない。
それでも作っていると、どんどんココロザシも仲間も開いていき、いつしかかつて居た場所の親密さが遠く後ろに消えている。
残るのは、培った思考や技術だけ。




2013/08/25

テクノロジーの寿命

プランニングしていくとき、ぶちあたる壁はテクノロジーの寿命だ。
300年後も同じように稼働する(或はその意義がある)ものをつくろうとすると、センサーがどうのとか言ってるのが、そもそも間違っていて頭おかしいんじゃないかとおもうようになる。

法隆寺の夢殿とかピラミッドとか、終わりを考えて作ったとは思えない。
終わりを想像もしないときに出てくる強さみたいなものが、メディアアートには無い。
ただ、だからこそ新しい素材を作るという気概が誕生するとも言える。




2013/08/19

なめ敵とスティグレール

深夜に気持ち悪くて眠れなくなるパターンが続いている。
だからというわけでもないけれど、朦朧とした意識を読書でつらつらとつなぎながら、寝たり起きたりを繰り返す。

「なめ敵」を読むにあたって、もういっこ補助するような哲学書を読みながらのほうが、なんだか私にとってバランスが良さそうだなとおもって、平行してスティグレールを読んでた。

平行読みが功を奏したのは、インターネットという意識を作り出す技術についての捉え方が、まったく異なることによる。双方ともに当然ながら、経済、資本主義、投資、という社会構造と意識の話につながっていくのも、脳がやわやわしてくれて、よかった。
一方は、インターネットを介して世界がよくなる(なめらかになる)ように、一方は、インターネット(だけではないけれど) によっておこるシンクロニシティがもたらす意識の荒廃を直視していく。
もちろん、どちらも、いい面、悪い面だけに焦点をあてているわけではない。

共におもしろかったのは、「一手を打つ」ことについて、考えている人たちの仕事だということだ。なめ敵はもちろんだけれど、スティグレールも、歴任してきたポジションでの試みが伺える。
私が哲学が苦手なのは、テクストの中に戦いも未来も回収されてしまうようなところで、 (それは、彼らの「発表の仕方」=テキストをえんえんと読み上げる慣習にも見て取れるのだけれど)どこか、桃源郷の問であり、桃源郷の回答であるように感じられるところだろう。アートでも、そういうものはいくらでもあって、私がテキストで完成しているものは作品にしなくていいとこだわってしまう理由もそこにある。式の解を読み上げてパフォーマンスとされるものを見るくらいなら、テキスト読んだ方がいい。

あたらしい技術であるインターネットは、あたらしい意識を作るのか、あるいは意識を荒廃させた挙げ句に、あたらしい意識を作るのか、ちょっとわからない。日々の実感としては、シンクロニシティが荒廃させていく意識というほうがわかりやすく近しい感覚だけれど、走り出した記憶の技術を止めることはできない以上、「一手」を打つ必要は後から後から深刻にわいてでてくるのでしょうから、「なめ敵」のような平和だがアグレッシブな戦い方は勇気がでる。
と、素人が何いうぞ、、ですが、、、
ただ、事実を眺めて現象を捉えようとするだけではなく、 あたらしい技術のあたらしい使い方を開発していくことで、世界、意識、進化の先を変えようとしていく姿勢に、心が踊るんだろう。



2013/08/10

川口隆夫さんの「大野一雄について」

外に出たら本当に暑かった。
さわやかさのない。

夜、日暮里へ。
川口隆夫さんの「大野一雄について」

高校時代にテレビで大野一雄というひとを見て、夢中になった。
広島でも手に入る本を買って読みこんでは、東京にいって本物を見るのを楽しみにしていた。
その数年後、ようやっと両国のシアターカイで初めて本物の大野さんを見た。
握手をしてもらったら、掌がやわらかかった。

引き継ぐということを思っていた。
川口さんを見ながら。
この前、私は過去の二つの映画を引用しながら作品を作ったのだけれど、なぜ、そんなことをしたのかというと、ひとつには「過去になされた表現が現在の表現者の世界観を作っていること」についてずっと考えていたからだった、音の海を作る過程で。

私はおそらく子供を持たないで人生を終えるのだろうとおもう。
血とか肉とかをひきちぎるようにして命を宿す肉体ができあがって生まれてくる、その繰り返しが、私のところで途絶えようとしている。

なにか、誰かが投げてくれたものを受け止めてみたいという、漠然とした興味のようなものが、いまの私にはあるのかもしれない。

川口さんが「お母さん」のダンスをするとき、はじめて大野さんの「お母さん」がわかったように感じた。大野さんでは無いから、引き継がれるなかで落ちていったもの、誤謬、不要に加えられたものがきっとあるのだろう、
でも、研究しようと見つめて見つめて作られた動きのなかに、大野さんの「動機」が読み取られて見えてくるような、そんなハッとした現れがあった。
川口さんの手はあんなふうには柔かくないかもしれないけれど、でも、あの掌のふくいくとしたやわらかさ。

私は翻訳小説がすきだ。
異なる眼差して読み替えることで、生まれるものがすきだ。


アスベストに通ったころに、ほんの数回、大野慶人さんが講師のときがあった。
みんなが「慶人さん」と呼んでいた。
きょう、アフタートークで慶人さん」が、複雑な大野一雄さんや川口さんに、独特な文法で光を当て直していくのが、なんともいえずしあわせな時間だった。
花がカーテンコールで宙に舞った。
もともとそれは花束だった、ふつうの、花束を突然、慶人さんが急いでばらし始めて、そして川口さんにむけて高く投げ入れられた。
わかりやすい赤いバラが落ちていく、その下に立つダンサー。
ここにも、読み替えて、今にうまれる場があった。


川口さんのタンゴ、いついつまでも見ていたい。
実は、あんなに憧れた大野さんの舞台は、すこし居眠りしながら見たのだった。
きょう、川口さんのタンゴ、いついつまでも見ていたくて、でも、そこには大野さんはいたりいなかったりする。
引き継がれる命ということを、考えながらずっとみていたいとおもってた。





2013/07/27

成立しない問い

なんで、めげないの?と、何年も鬱で苦しんでいる古い友人から問われた。
死ぬ方法ばかりを考えずに目の前のことを丁寧にやってみて、という言葉が、重たい堂々巡りの中に居る人には残酷なものだろうというのも、知っている。


やりたいことがわからないという悩みを、いろんな人の口から聞いてきた気がする。
私には、その悩みに対する答えがない。
例えば散々ひとびとに「やりたいこと」の結果を酷評されたって、所詮は他人の言葉だし、私の人生に口だされる覚えは無い、程度のことだろうに、アートなんて。という側面がある。
原爆落とすのとは訳が違う。
「地獄」が人生のなかに刻印されているわけではない。
それでも、迷惑をかけている人、応援の手をいつも貸してくれる人へどんなふうに誠意を返せるのかを考える時間は、ともすれば相手からの返答に執着しかねない程度には持っている。
考えこんでしまう理由は、理想的なかっこいい答えが見えていても、それを現実化できないからだろう。
しょうがないから、ひとつひとつ、メールしたり電話したり、具体的に行動して、それでも返答がないような場合には、諦めましょうと区切っていく。

「人を大切にする」を諦めない場合もあるだろうし、同じところから生じている、他人に認めてもらおう願望を手放すことが優先される場合もある。
時に応じて選んでいく。

私には安定した健康がない。
激痛に倒れているとき、情けなくてなんで自分はこんな思いをしなくちゃいけないんだろう?お願いだからこの痛いのを消してください、と何度も何度も祈ったり呪ったりする。
でも、誰かに、なぜあなたは健康でいられるの?とは問わない。
子供のころに、学校で初めて「斜視」をからかわれて帰った日に、母親に「なんでふつうの目じゃないの?」と質問したら、母が、人はそれぞれ目に見える見えないに関わらず異なる問題を持っているのだ、というようなことを言った。
母は、生まれつき心臓が悪い。
耳も片方聞こえない。
そういう人が言った言葉だから納得できたのかもしれないけれど、その説明で、そっか。とだけ思ったのをよく覚えている。


やりたいことが途絶えない人生もあるし、どうしても見つからずに苦しむ人生もあるんだろうとおもう。
こういったら、また苦しむのかもしれないけれど、「比較してもしょうがないこと」。
健康な人生もあれば、最初から寝たきりの人生だってある。
そのことについて、誰に何を問うても、回答はない。
その質問はもともと成立しない問いなのだ、と切り替えた方がいい。


難題が降りかかるときでも、明るくポジティブに考えを進められる人もいて、そういう人は世界の財産だとおもう。
私の恨みや愚痴を電話やチャットの向こうで聞いてくれる数人の友人たちは、「ちょーぜつすばらしい財産」。
ちょーぜつ。
でも、ここのところ、甘えすぎたよな、と。

つくづく思う。
今、こうしている間にも、誰かは「死にたい」し、
今、こうしている間にも、誰かは「しあわせ」。
旅に出ているもの、おならをぷぅとやっているもの、秘密を抱えているもの、アイスクリームを嘗めているもの、責任を問われているもの、誰かの膝の上でくつろいでいるもの、、、
犬も猫も人間もそんなふう。
そんなふうな日常のなかで、あなたの「死にたい」が少しでも薄らいでいきますように。














2013/07/25

循環プール



毎年、授業で、「荒川修作+マドリン・ギンズ、ジョン・ケージ、ジェームズタレル」を例にあげて、「外側の世界がつくる私」について話すのだけれど、
このテーマには、私の個人的な生死へのオブセッションが入っていて、あたらしい作品に入る前には、必ずこの眼差しに戻ってくる。

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「私の時間」を、外側が生む行為として捉えること。
何度でも「人工」が生まれてしまう空間、関係、作用の秘密を見ること。
「作り替えられた秩序」を体得し続けること。

これらが、主に私が実行しようとすることの抽象的な説明なのだけれど(具体的な方法は毎回異なる)、こうして書き出してみると「パフォーマンス」にふさわしい言葉に見える。
なのに、実際には「パフォーマンス」で実行することが一番にむずかしかった。

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「外側の世界がつくる私」には生命の循環の仕組みが働いている。
なぜ、命は循環するんだろう?
せつない。どんな説明の前にも、納得できる実感がない。

おおきなほうの命の時間を、生きることができるなら生きたい。
漫然と死を思いながらではなく、心を短い記憶に縛られながらではなく、徹底的に自由な命としての「長い段階」を導きだしたい、この謎の循環プールのなかで。

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7年前に、予期できないインタビューをショウにするところから、私のパフォーマンス制作は道を開いていった。(実際にはもう少し古い作品でも、ダンス、朗読、落語的なアプローチを試している。)
私にとって重要だったのは、「予期できなさ(インタビュー) と コントロール(ショウ)」 という相反する運動を同時に扱う時に、命が走る時間の感触 を掴んだということだった。
やがて、コントロールがあるからこそ「予期できなさ」を抱え込もうとする「俳優やダンサーという存在の仕方」に興味がわいてきた。


2011年からは、「流動的な環境が形づくられるプロセス」を、人工生命と人間という、質の異なる自律性の相互作用がもたらす「進化」から理解しようとしている。
ここでの環境とは、生物や物質に流れている意識、つまり心とも言える。
私は、この観点をひとりで培ってきたわけではなくて、人との出会いを経て、こんな言葉を選ぶようになったのだけれど、
でも、なんにせよ、
私のおおもとにあるのは「命が走る時間」を生起させるという強迫観念だけだろう、とおもってる。

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「音の海」は、シンプルな仕組みから成る人工生命だ。
パフォーマンスでは、音の海の挙動を見せるというよりは、中に入った人間の挙動にどう影響を与えるのか?を中心に、様々に自律性を抑えたり解放したりと調整を繰り返した。
そのデータを得たことで、次では、自律性の解放に幅が出せるようになったとおもう。
スタート時のチームがもっていた構想「建築」をつくるように「音の海」をつくる、を次回やろうとしている。


2013/07/19

過去との距離


どうにも体調が戻らず。
仕事しては横になり、横になっては仕事してを繰り返している。
そうはいったって、この体で人生半分きたなーと思うようにもなった。
残り半分は、ビールでしのぐんだ。(だから駄目なのか)
子供のころはビールなんかなかったし、体育もやらなきゃいけなかったし、大人って最高だ。このあいだ、レモネードのビールカクテルを飲んだら、おいしかった。

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「(憎しみを)貫けるとおもった。」
貫けなくなった時、会えなくなった人がいよいよ遠のいていくことに気づく。
「二十四時間の情事」のこの台詞には、戦争や過去との距離の変遷が現れている。
憎しみを介して何度でも触れることができた過去が、薄らいでいく。
そのとき、心は、本来の「自由の広がり」を取り戻しはじめている。
記憶の縛りを受けていない広がりが、取り戻されるのだ。
さびしさと引き換えにするように、再び戦う勇気が現れる。

忘れることをメディアから許可されなくなる時代に、人間は自由をどうやって広げていくんだろう?
これって、文字ができたときからの普遍的な問いなのかもしれないけれど。

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記憶を縛るものを繰り返し受け止める必要は、あるのかな?
ずっと、答えはでないままだ。