2013/08/25

テクノロジーの寿命

プランニングしていくとき、ぶちあたる壁はテクノロジーの寿命だ。
300年後も同じように稼働する(或はその意義がある)ものをつくろうとすると、センサーがどうのとか言ってるのが、そもそも間違っていて頭おかしいんじゃないかとおもうようになる。

法隆寺の夢殿とかピラミッドとか、終わりを考えて作ったとは思えない。
終わりを想像もしないときに出てくる強さみたいなものが、メディアアートには無い。
ただ、だからこそ新しい素材を作るという気概が誕生するとも言える。




2013/08/19

なめ敵とスティグレール

深夜に気持ち悪くて眠れなくなるパターンが続いている。
だからというわけでもないけれど、朦朧とした意識を読書でつらつらとつなぎながら、寝たり起きたりを繰り返す。

「なめ敵」を読むにあたって、もういっこ補助するような哲学書を読みながらのほうが、なんだか私にとってバランスが良さそうだなとおもって、平行してスティグレールを読んでた。

平行読みが功を奏したのは、インターネットという意識を作り出す技術についての捉え方が、まったく異なることによる。双方ともに当然ながら、経済、資本主義、投資、という社会構造と意識の話につながっていくのも、脳がやわやわしてくれて、よかった。
一方は、インターネットを介して世界がよくなる(なめらかになる)ように、一方は、インターネット(だけではないけれど) によっておこるシンクロニシティがもたらす意識の荒廃を直視していく。
もちろん、どちらも、いい面、悪い面だけに焦点をあてているわけではない。

共におもしろかったのは、「一手を打つ」ことについて、考えている人たちの仕事だということだ。なめ敵はもちろんだけれど、スティグレールも、歴任してきたポジションでの試みが伺える。
私が哲学が苦手なのは、テクストの中に戦いも未来も回収されてしまうようなところで、 (それは、彼らの「発表の仕方」=テキストをえんえんと読み上げる慣習にも見て取れるのだけれど)どこか、桃源郷の問であり、桃源郷の回答であるように感じられるところだろう。アートでも、そういうものはいくらでもあって、私がテキストで完成しているものは作品にしなくていいとこだわってしまう理由もそこにある。式の解を読み上げてパフォーマンスとされるものを見るくらいなら、テキスト読んだ方がいい。

あたらしい技術であるインターネットは、あたらしい意識を作るのか、あるいは意識を荒廃させた挙げ句に、あたらしい意識を作るのか、ちょっとわからない。日々の実感としては、シンクロニシティが荒廃させていく意識というほうがわかりやすく近しい感覚だけれど、走り出した記憶の技術を止めることはできない以上、「一手」を打つ必要は後から後から深刻にわいてでてくるのでしょうから、「なめ敵」のような平和だがアグレッシブな戦い方は勇気がでる。
と、素人が何いうぞ、、ですが、、、
ただ、事実を眺めて現象を捉えようとするだけではなく、 あたらしい技術のあたらしい使い方を開発していくことで、世界、意識、進化の先を変えようとしていく姿勢に、心が踊るんだろう。



2013/08/10

川口隆夫さんの「大野一雄について」

外に出たら本当に暑かった。
さわやかさのない。

夜、日暮里へ。
川口隆夫さんの「大野一雄について」

高校時代にテレビで大野一雄というひとを見て、夢中になった。
広島でも手に入る本を買って読みこんでは、東京にいって本物を見るのを楽しみにしていた。
その数年後、ようやっと両国のシアターカイで初めて本物の大野さんを見た。
握手をしてもらったら、掌がやわらかかった。

引き継ぐということを思っていた。
川口さんを見ながら。
この前、私は過去の二つの映画を引用しながら作品を作ったのだけれど、なぜ、そんなことをしたのかというと、ひとつには「過去になされた表現が現在の表現者の世界観を作っていること」についてずっと考えていたからだった、音の海を作る過程で。

私はおそらく子供を持たないで人生を終えるのだろうとおもう。
血とか肉とかをひきちぎるようにして命を宿す肉体ができあがって生まれてくる、その繰り返しが、私のところで途絶えようとしている。

なにか、誰かが投げてくれたものを受け止めてみたいという、漠然とした興味のようなものが、いまの私にはあるのかもしれない。

川口さんが「お母さん」のダンスをするとき、はじめて大野さんの「お母さん」がわかったように感じた。大野さんでは無いから、引き継がれるなかで落ちていったもの、誤謬、不要に加えられたものがきっとあるのだろう、
でも、研究しようと見つめて見つめて作られた動きのなかに、大野さんの「動機」が読み取られて見えてくるような、そんなハッとした現れがあった。
川口さんの手はあんなふうには柔かくないかもしれないけれど、でも、あの掌のふくいくとしたやわらかさ。

私は翻訳小説がすきだ。
異なる眼差して読み替えることで、生まれるものがすきだ。


アスベストに通ったころに、ほんの数回、大野慶人さんが講師のときがあった。
みんなが「慶人さん」と呼んでいた。
きょう、アフタートークで慶人さん」が、複雑な大野一雄さんや川口さんに、独特な文法で光を当て直していくのが、なんともいえずしあわせな時間だった。
花がカーテンコールで宙に舞った。
もともとそれは花束だった、ふつうの、花束を突然、慶人さんが急いでばらし始めて、そして川口さんにむけて高く投げ入れられた。
わかりやすい赤いバラが落ちていく、その下に立つダンサー。
ここにも、読み替えて、今にうまれる場があった。


川口さんのタンゴ、いついつまでも見ていたい。
実は、あんなに憧れた大野さんの舞台は、すこし居眠りしながら見たのだった。
きょう、川口さんのタンゴ、いついつまでも見ていたくて、でも、そこには大野さんはいたりいなかったりする。
引き継がれる命ということを、考えながらずっとみていたいとおもってた。