講評の日に、久しぶりにHさんにお会いして様々なことをおしゃべりした。
そこでおしゃべりした事柄と、『海底で履く靴には紐がない』で見たものがつらーっと繋がっている、いま。
私はもともと『Line京急』のファンなので、山縣さんと大谷さんの組みあわせは待望の感があるのだけれど、そこに口をダラーッとさせた女優や、筋肉質な俳優の身体の移動が加わる様に居合わせていると、空間に音楽がひょっこり顔を出した。
大谷さんが作る音のなかでも、短めのラインのような状態が繰り返されるごとに変化していくときのあの感覚が、ひょっこりと。
そして、大谷さんの身体に重ねああわせて、当然のように山縣さんの身体が記憶から呼び覚まされて浮かび上がってくるのだけれど、その密な体が、美術のパフォーマンスには無い。
そのことを、以前はよく考えたものだったな、と思い出した。
2009年から2013年の自分の活動には、いくつかの挑戦があった。
その内のひとつの流れが科学を通した「形の変換」であり、そしてもうひとつが「身体がある」ということだった。
どちらかというと、「身体がある」のほうが先に、必然的な興味として自分の中に2007年に生まれた。
ある作品を劇場で発表する機会をいただいたときに、その2時間、劇場に言葉は溢れているのに身体が無いことに気がついたのが最初だった。
あの作品を、もしもギャラリーやオルタナティブなものであれアート的な空間で上演したならば、身体のおざなりには気づかなかったとおもう。
そこから、わたしは本当に様々な人の力を借りて進んで来たし、進もうとしてきたとおもう。
身体はあまりにも自分には難しいマテリアルでありインターフェースだったので、ダンサーや俳優や舞台にあがる人の力を借りるのが当然のように思われた。
そして、でもやっぱり「借りる」では中途半端にしかわからなかったのだろう、と今になっておもう。
答えの出ないことを誰かに相談したとしても、そこで得た回答は、結局は当座しのぎにしかならず、必ず後から落とし前をとらされるものだが、そういう感触が身体に向き合おうとしてしなかった経験の中にはある。
実のところ、2013年の夏以降、わたしは身体のことを考えないようにしてきた。
この2年の間、自分にはそれを考えることは許可されていないというか、真摯に身体にむきあっている人たちを前にして、語るどころか、考えることさえも憚るべきような気がしてならなかった。
なのだけれども、この数日の対話ですこし気力が風向きを変えた。
今年の夏に、ダンサーたちとの時間をヨーロッパで過ごすことになっている。
彼らの力を借りるのではなく、密な身体にわたし自身が向きあう楽しみが浮かび上がっている。いま。
そして、それは美術のなかに取り急ぎはあるだろうけれど、やがてもう一度、自由に挑戦してみようとおもう。