猫が秋にも春にも飛び跳ねた日は彼岸だった。
驚いて飛び跳ねて空中で回転した後に地上に足をつけるやいなや身を屈めあらぬ方向を睨んで、喉から絞り出るウーウー低い声が隠さぬほど怯えている。
というこの二行からはじまる文章を書いている2024年7月、もうその人は亡くなって四ヶ月近くが経っていたのを私は知らなかった。猫が飛び跳ねたのは、2023年秋と2024年春の彼岸だったと思う。
今年の夏も暑くて外を散歩するような時間をもたなかったけれど、その代わりというか、暑くなる前にはお決まりだった散歩コースの、その道を歩く感じこそをしょっちゅう我が部屋で寝しなに思い出した。その道は、道というか河岸というのか、川辺というのか、戦後に桜を植樹した護岸の土手で、川沿いに歩いていけば明治時代以降に個人(多くは商人)がそれぞれに作ったとされる雁木のうがつような穴と階段がときどき川側に現れる。80年前、明治につくられた雁木に腰掛けた人は焼け爛れた無数の人間が浮かぶ川を見た。
土手幅の狭いところは酔っ払って歩いたら足を滑らせて川に落ちそうだといつも思うけど、それは私の運動神経が人並み以下だからかもしれなくて、みんなは自然道をスイスイいく足捌きに気分軽快なのかも。幅の広いところは、道というより公園になっている。
よっぱらって足を滑らせて落ちるにちがいないほうの土手で、わたしは映像を撮影している。
わたしよりも年をとった日本語の通じる男のダンサーに、「とにかくこの空間を味わいながら前に進んでください」というと、彼は戸惑いながらも試みる。
わたしはその時、カメラをどこに置くべきなのよ?
手持ちじゃないと何も撮影できないな、と思う。思うのだけれど、すぐさま手持ちでダンサーの動きを追いながら水にも落ちずに撮影できる技術はわたしにはないから、カメラマンを雇うしかないだろうと気づく……いや、ダンサーを東京から呼ぶだけでもお金がかかるから、やっぱり自分で撮影だろう。だとしたら、いっそ映像ではなく写真にして、いやいや写真もいらんわ、ダンサーの身体にピンマイクを仕込んで土手のあちこちにもフィールドレコーディング用のLOMのマイクを仕込んで音を収録しよう、上下する息と衣擦れと草の軋む音だ。それならわたしの体力でもなんとかなるが、なにしろすべては夏が終わってからだった。
夏の間は外では何もできるわけがない。
私があるひとりの男のダンサーが空間に触れ続けるように木の枝や生い茂る草のトンネルでもある土手を身体を使って動いていくのを夢想しているとき、その人はもう亡くなっていたのだった。と言うと誤解を与えてしまうその人はダンサーではないのだけれど。ダンサーとは別人なんだけれど。
その人は、20代の終わりころに出会った「知人」で、幾度か言葉も交わしたし、SNSでは毎日彼のあげる写真を見ていた。彼は写真家を名乗ってはいないけれど常に写真と共にあって、彼の世界には本と映画とおいしそうなジュースもよく登場する。私は彼の写真も本も映画もジュースももれなくすき。
友人でもなければ親しいということもない。
九月、ひさしぶりにInstagramを見てみたら、いつも楽しみにしていたその人の写真が三月から更新されていないことに気づいた。
Instagramを彼はやめたのかな、とTwitterを見てもやはり更新されていなかった。
そこで彼の名前をTwitterで検索して、初めて私はその人の死を知った。
Twitterを詳しくみていくと、春に「お別れの会」が開かれていた。誰かがアップした「お別れの会」の写真には、その人の愛用品が並べられた机があり、そして写真たてに入ったその人の写真もあった。
それで、私はすごく動揺している。その写真を見てからというもの、友達でさえないその人の死があまりに生々しくて、素直に言えば悲しくて寂しくて、そうだ、こういうお顔だった、と全身の隅々から記憶が立ち上がってから以降、私はずっと静かに動揺している。
あれ以来、毎日いちにちのどこかで、彼が亡くなったんだ、ということがあまりにすぐ近くに頻繁に出現して気持ちが一瞬白く停止する。
その人の死はあまりにもよくわからない。
その人の死は、やっぱりゼロになったとは思えなくて、まだいるとしか思えない。まだ生きているとしか思えない。
きっと、彼はずっとインターネットのなかにいたから、体に触れたことがないから、もともと存在が曖昧だった、というか、その顔貌は私の中に人知れずに私さえも知らない形で居たのに、写真たての顔がぎゅいんと立体的に彼の顔をまるで脳が正しく彼を記憶していたかのように心の中に仕上げてしまった。
触れ合わない人の形がこのように揺れ動いて変貌して強くなることに私は驚いている。
その人は、世間でよく聞くように「私が覚えている間は生きている」というのともちがっている。生と死の境は以前の私が思っていたようなのじゃなくて今も生きている。
涼しくなると、日本で活動するダンサーが「とにかくこの空間を味わいながら前に進んでください」というだけの呼びかけに反応してくれるかどうか不安になってきた。
最後にダンサーと関わったのはオスロやロサンゼルスで、私はあのとき日本のダンサーが恋しかった。物語ではなく空間や時間に触れるひとの身体と動きが恋しくなった。
「キミのはプリミティブな関心だけれど、いかなる問題も提起していないね」と言われるとき、でも、命が世界を味わいつくしていますよ。リアルですよ。しかもあなたは飛び跳ねもしないのに。と私は言う。声に出してかどうかはともかく。
猫は、今年の九月の彼岸にはもう飛ばなかったなぁ。
我が家の歴代犬猫たちが新入りにゃんコに挨拶にきてくれたとおもったりできたのも、2回の彼岸で終わってしまった。