2017/05/29

先月あたりに『10:04』という小説を読んでいた。
ストーリーがはっきりと無いことと事実なのか物語なのか曖昧な点が、絶賛もされ、酷評もされたという触れ込みだったけれど、世界にはこの程度の物語性の弱い小説はいくらでもあると思う。
むしろ、丁寧に「世界観が変わる瞬間」を、森の小道に石を置くようにして進むものだから、この小説家が十分に予定を練って書いていることを容易に伺わせて、「ストーリーがはっきりと無いことと事実なのか物語なのか曖昧な点」というのは大した問題ではなかった、というか、やっぱりちょっと残念だった。

作品を作るときに、終わりを知らないルートをどのくらいギリギリまで進んでいけるだろう?数年前まで、そのことばかりを考えていた気がする。

ここ数日、もう何度目かわからない作り直しをしている『Emblem』に集中していた。
いちど座るとあっと言う間に時間がたってしまって、スーパーに行ったり料理をするのもいやで、食欲もわかずにえんえんと作業していた。
そういう風に身体を使ってはいけないと思うんだけれど。
でも、たぶんこれで迷っていた箇所を打ち止めにできる気がする。

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やっとマスクを外して歩くことができる日が増えてきた。
夜道を歩くとき、春の甘い匂いがあちこちの草花から漂ってくる。
部屋を抜けてゆく風が気持ちよくて、そのまま眠れたらどんなにいいだろう。

一方に、造形を形作られていくものがあり、一方にじっくり追っている不可視の、複数のこころがある。終わりの知らないこの制作過程に、ますます没頭している。

とても不思議なことのようにも思うのだけれど、なぜかわたしは最近、しあわせを感じてる。
肌が粟立つように刻一刻の外界を感じながら、あなたにオープンであるわたしが同時にきれいに生きろと私を支えている、こうやって世界観が変わってきたなぁ、これまでも、こんなふうだったんだ、と作る間中、何者かに語りかけている。







2017/05/23

やはり、毎日書くと決めたら毎日書かないと、書かない。
それが咳の記録にしかならないとしても、とりあえずは書くか。
人知れず書き溜めては書き直し、何かをここで練ってみようと思う。
毎日、自分の体のなかでは練られている連なりを感じるのに、それが書かれないことで捕まえにくくなってしまっている。

かれこれ2週間ほど、もう一生この咳は止まらないのかもという感じで、夜間の咳とつきあっていた。
今も、薬を飲み忘れたら怪しいので、今年はもうずっとこんな感じで夏までいくのかもしれない。願わくば、一年のうちにいっときでも完全に咳が止まるシーズンがくることを気長に待つとしよう。

前回、少し触れたblanClassで見たものの続きを書こうと思っていたのに、その直後から咳が再び悪化して、それどころではなくなってしまった。
考えてみれば、少しでも自律神経を整えて環境の変化に体が反応しないようにと、ジムでウォーキングを始めたことと、今年の黄砂の始まりが重なったらしく、ジムにいくたびに咳も悪化してしまったようだ。毎日、歩き出して5分もしないうちに喉が痛くなるのでおかしいとは思い始めていた。そうすると、深夜に咳がとまらなかった。
歩くのは爽快で気に入っていたし、毎日の同じ時間に集まる人との「暗黙のトレーニング機器の順番こ意識」をシェアしている感も生まれつつあり、日々の新しい習慣として面白くなりかけていたのに、医者にストレッチ以外は禁止を通達されてしまった、残念だ。
blanClassでの時間を、今日は書くことができない。
意識が遠のいているというより、毎日のなかで思いだす時間も途切れずにあるのだけれど、その分、書くことができなくなりつつあるんだろう。
あの後、本を二冊読み進め、そのうちの一冊はどうも読了にはいたらなさそうだ。
映画は見ていないし、ライブパフォーマンスは二軒キャンセルしたし、行こうとおもっていた展覧会をいくつか行けなかった。
自分のクリエイションとしての、でもあまりおもしろくはない部分の、つまりバイトでも雇った方が良さそうな仕事が続いており、それからの現実逃避でもあるのか、私にとってのドローイング的な、つまり発表することのないだろう作業をいくつもした。

咳は、ある漢方を1周間ほど処方されていた。
強い薬だから今夜を最後にして、明日からは継続して服用できる別の漢方薬に変えましょうという方針になったその夜、最後の一包を服用した数時間後に鼻血がつーっと出て、ピタリと(とりあえずは。でも激変として。)咳が止まった。
鼻血は人生で二回目かも。
一回目は、高校生くらいのころに高熱をだした深夜に、突然だらだらと止まらなくなったことがある。鼻血が出る感じは、鼻水が出る感じよりもずっと「だらだら」している。






2017/05/07

今年はなるべく毎日ただの日記のようにblogを書こうと思っていたのに、気がつけば5月だ。体に無理な日程は組まないで甘やかすように暮らしているのだが、それでも日々はあっちゅうま。

ついこの間までの、2016年から2017年はじめの冬に珍しく2度も酷い風邪をひき、その置き土産で喘息が勃発して4月前半は横になって眠ることができなかった。横になると、喉からチカチカとした咳が沸き上り、全身を波打っていく。
咳が始まると、それが続くのが数時間のことなのか、数週間のことなのか、数ヶ月のことなのか、未だに読めない。
終わってしまえば「今年の咳の期間」のようにして、まとまった塊の時間が私のなかに位置するけれど、終わるまでは、文字通りの暗中模索、ゴール不明の瞬間のつらなりだ。
というか、出口を探し出すべく、いや、むしろ作るべく、暗い土の中に穴を掘り続けているようなものが「咳が終わるまで」にはある。

と、いう、そういうことを私はもうずっと作品にしようとしているようなのだが、こんなものを冷静に考えてしまうと、ハテ、なぜそれを作品にするのか?とたちどまる。

いま、「作品」と書いたけれど、どうもここのところ、「作品」という言葉がしっくりこなくなってきた。アーティストが「作品」という言葉を警戒するのは珍しい話ではない。だから、わたしはわたしの出会ってきた人々の中にも居た、「アーティスト」や「作品」といった言い方を自分に与えることを強く拒否する姿勢を見てきたし、そのたびに、まぁまぁそれはわからぬでもないが、わたしには(それこそ)しっくりともピンともこない、別の切実さなのだとして、「アーティスト」や「作品」という言葉に大きな期待も拒否もしない感じを決め込んで使ってきた。
では、じゃあ、今のわたしがふと感じはじめた「作品」という言葉のしっくりこなさ加減が、あの彼らと同じように切実な強い態度かというと、そうでもない。
年をとったのかもしれないが、わたしの態度はどんどん弱くなっている。

ときどきネットのニュースを見ていると、いつの間にか表舞台から消えていた有名人が復活したとか、復活しないが別の人生を歩んでいるという、なんとも内輪感覚に溢れた記事を目にする。
最近、そういう記事を読むときに、私は自分のここ数年を許可されているような、もわっとしたユルい気持ちが生まれることに慣れ始めている。
それはつまり、追われるようにして作品を発表していた時期からここ数年への変化は、まずは生きているということの優先への変化だ、とわたしが認識し始めている。
ということなのかな。
発表の停止が「一時的な休憩」であるにせよ、「枝分かれして始まった別の道行き」であるにせよ、「撤退」であるにせよ、どうでもいい、生きていて、なんだか考えたり作ったりは止まってはいない。考えたり作ったりが最終的な形になるとき、高揚よりも寂しさが鮮明になりつつあるから、「作品」というのが鬱陶しくなっているのかもしれない。

そんなものは、かつては受け入れ難い感性だった。
こんなふうに、かつてとして、区切ってみることもできる。

そのように、時間は区切られながら、心身に巣食う。
それはそうだ。
でも、同時にやはり、絶対に区切られようがないのが命のカウントダウンだ。

今日、blanClassで、岸井大輔さんの戯曲を複数の演劇人や美術家が扱うという「アラカルト」を見てきた。
戯曲として書かれたテキストは、指示のようでもあるし、エッセイのようでもある。
それを、戯曲として読んだ人と、ただの言葉、文字として読んだ人とがいた。
前者には概ねオチがあり、後者には概ねオチらしきものがない。
一応、念のためというやつで日本人らしく書いておくならば、「オチは、いいとか悪いとかではなくって」。