2013/08/10

川口隆夫さんの「大野一雄について」

外に出たら本当に暑かった。
さわやかさのない。

夜、日暮里へ。
川口隆夫さんの「大野一雄について」

高校時代にテレビで大野一雄というひとを見て、夢中になった。
広島でも手に入る本を買って読みこんでは、東京にいって本物を見るのを楽しみにしていた。
その数年後、ようやっと両国のシアターカイで初めて本物の大野さんを見た。
握手をしてもらったら、掌がやわらかかった。

引き継ぐということを思っていた。
川口さんを見ながら。
この前、私は過去の二つの映画を引用しながら作品を作ったのだけれど、なぜ、そんなことをしたのかというと、ひとつには「過去になされた表現が現在の表現者の世界観を作っていること」についてずっと考えていたからだった、音の海を作る過程で。

私はおそらく子供を持たないで人生を終えるのだろうとおもう。
血とか肉とかをひきちぎるようにして命を宿す肉体ができあがって生まれてくる、その繰り返しが、私のところで途絶えようとしている。

なにか、誰かが投げてくれたものを受け止めてみたいという、漠然とした興味のようなものが、いまの私にはあるのかもしれない。

川口さんが「お母さん」のダンスをするとき、はじめて大野さんの「お母さん」がわかったように感じた。大野さんでは無いから、引き継がれるなかで落ちていったもの、誤謬、不要に加えられたものがきっとあるのだろう、
でも、研究しようと見つめて見つめて作られた動きのなかに、大野さんの「動機」が読み取られて見えてくるような、そんなハッとした現れがあった。
川口さんの手はあんなふうには柔かくないかもしれないけれど、でも、あの掌のふくいくとしたやわらかさ。

私は翻訳小説がすきだ。
異なる眼差して読み替えることで、生まれるものがすきだ。


アスベストに通ったころに、ほんの数回、大野慶人さんが講師のときがあった。
みんなが「慶人さん」と呼んでいた。
きょう、アフタートークで慶人さん」が、複雑な大野一雄さんや川口さんに、独特な文法で光を当て直していくのが、なんともいえずしあわせな時間だった。
花がカーテンコールで宙に舞った。
もともとそれは花束だった、ふつうの、花束を突然、慶人さんが急いでばらし始めて、そして川口さんにむけて高く投げ入れられた。
わかりやすい赤いバラが落ちていく、その下に立つダンサー。
ここにも、読み替えて、今にうまれる場があった。


川口さんのタンゴ、いついつまでも見ていたい。
実は、あんなに憧れた大野さんの舞台は、すこし居眠りしながら見たのだった。
きょう、川口さんのタンゴ、いついつまでも見ていたくて、でも、そこには大野さんはいたりいなかったりする。
引き継がれる命ということを、考えながらずっとみていたいとおもってた。