2017/05/07

今年はなるべく毎日ただの日記のようにblogを書こうと思っていたのに、気がつけば5月だ。体に無理な日程は組まないで甘やかすように暮らしているのだが、それでも日々はあっちゅうま。

ついこの間までの、2016年から2017年はじめの冬に珍しく2度も酷い風邪をひき、その置き土産で喘息が勃発して4月前半は横になって眠ることができなかった。横になると、喉からチカチカとした咳が沸き上り、全身を波打っていく。
咳が始まると、それが続くのが数時間のことなのか、数週間のことなのか、数ヶ月のことなのか、未だに読めない。
終わってしまえば「今年の咳の期間」のようにして、まとまった塊の時間が私のなかに位置するけれど、終わるまでは、文字通りの暗中模索、ゴール不明の瞬間のつらなりだ。
というか、出口を探し出すべく、いや、むしろ作るべく、暗い土の中に穴を掘り続けているようなものが「咳が終わるまで」にはある。

と、いう、そういうことを私はもうずっと作品にしようとしているようなのだが、こんなものを冷静に考えてしまうと、ハテ、なぜそれを作品にするのか?とたちどまる。

いま、「作品」と書いたけれど、どうもここのところ、「作品」という言葉がしっくりこなくなってきた。アーティストが「作品」という言葉を警戒するのは珍しい話ではない。だから、わたしはわたしの出会ってきた人々の中にも居た、「アーティスト」や「作品」といった言い方を自分に与えることを強く拒否する姿勢を見てきたし、そのたびに、まぁまぁそれはわからぬでもないが、わたしには(それこそ)しっくりともピンともこない、別の切実さなのだとして、「アーティスト」や「作品」という言葉に大きな期待も拒否もしない感じを決め込んで使ってきた。
では、じゃあ、今のわたしがふと感じはじめた「作品」という言葉のしっくりこなさ加減が、あの彼らと同じように切実な強い態度かというと、そうでもない。
年をとったのかもしれないが、わたしの態度はどんどん弱くなっている。

ときどきネットのニュースを見ていると、いつの間にか表舞台から消えていた有名人が復活したとか、復活しないが別の人生を歩んでいるという、なんとも内輪感覚に溢れた記事を目にする。
最近、そういう記事を読むときに、私は自分のここ数年を許可されているような、もわっとしたユルい気持ちが生まれることに慣れ始めている。
それはつまり、追われるようにして作品を発表していた時期からここ数年への変化は、まずは生きているということの優先への変化だ、とわたしが認識し始めている。
ということなのかな。
発表の停止が「一時的な休憩」であるにせよ、「枝分かれして始まった別の道行き」であるにせよ、「撤退」であるにせよ、どうでもいい、生きていて、なんだか考えたり作ったりは止まってはいない。考えたり作ったりが最終的な形になるとき、高揚よりも寂しさが鮮明になりつつあるから、「作品」というのが鬱陶しくなっているのかもしれない。

そんなものは、かつては受け入れ難い感性だった。
こんなふうに、かつてとして、区切ってみることもできる。

そのように、時間は区切られながら、心身に巣食う。
それはそうだ。
でも、同時にやはり、絶対に区切られようがないのが命のカウントダウンだ。

今日、blanClassで、岸井大輔さんの戯曲を複数の演劇人や美術家が扱うという「アラカルト」を見てきた。
戯曲として書かれたテキストは、指示のようでもあるし、エッセイのようでもある。
それを、戯曲として読んだ人と、ただの言葉、文字として読んだ人とがいた。
前者には概ねオチがあり、後者には概ねオチらしきものがない。
一応、念のためというやつで日本人らしく書いておくならば、「オチは、いいとか悪いとかではなくって」。