2017/01/15

眠れなかった。
すばらしい小説を読んだし、作っている作品ふたつがずっと頭のなかでぐるぐるして、私は眠れない。眠れないと、また体調を崩すかもしれないし、だから朝8時くらいになったら眠るんだろう。今は7時になっていない。

わたしが『竹ザル』と呼んでいる作品と、『Emblem』と呼んでいる作品はどちらも2013年の横浜の作品を作っているころにアイデアがはじまった。このふたつは、というか『移民する本』が『竹ザル』の大元ではあるが、『移民する本』は、この2013年のアイデアの骨の部分しか使えていない。
骨の部分だけに殺ぎ落とさなければ、もうにっちもさっちもいかないような、そういう時期だった。生活を変えていった。

昨晩、ほんとうは出かけるはずで、シャワーも浴びて化粧もして駅に向かって歩いていたのに、やはりどんどん気が向かなくなってしまって、喫茶店で小説を読んだ。出かければ、人々やアートに出会えただろう。なのに、どうにも人に会うよりも作っていたいほうがどんどんどんどん大きくなって、出かけるのをキャンセルしてしまう、それがもう随分と長いこと続いている。

少し前に、将棋の世界で人工知能を使った疑いをかけられた人がいたが、あの時に「それはおかしな感じだ」と思った。かけられた嫌疑の回答には興味がなく、
ただ、どう考えても、将棋のようなものを人工知能を使って勝ちにいく理由はよくわらかない。将棋は、端から見ている限りにおいて、文章を書くだとか絵を描くだとかの際に、ずっと鳴り響いて側の空気もろともわたしを支配していく思考の流れ、そのものに乗っている時間に見える。思考といっていいのかわからないけれど、なにか、そういうもののなかで広がっている喜びが、毎日毎日毎日、書かせたり描かせたりする、おもしろくって+ぐいぐいしてて、みたいな。
人工知能にその喜びの部分を任せたら、いったいでは何をすることになるんだろう?
将棋のひとたちは、勝っても派手に喜ばない。それが、ちょうど同じ時期に話題になっていたカープの優勝に沸く選手や地元民の姿と違っていて、わたしは将棋と野球を珍しく追ってみていた。 やがて、アイドルの解散問題でファンたちが動きはじめ、トランプが勝ち、アイドルはファンの購買運動や署名的な新聞広告活動と共に解散を迎え、昨日になってスノーデンの恩赦を求めて(強烈に)多くの人々が署名したというニュースが流れてきた。
人々が動かされ、動き、わななき、その「人々」との距離が様々に変わっていく「ある人」のなかには、あの「ずっと鳴り響いて側の空気もろともわたしを支配していく思考の流れ」が、大衆とは無関係にある。
「無関係」だが、それに支配された人もまた、大衆と常に距離を計りあっている。

そういったことが、わたしの作っている作品にははじまりにあった。
そして、これは「骨」だけでは作れようもないので、根拠や理由や理屈や道理の通った作り方から、あの疲れ果てる混沌とした作り方に戻るしかないのだ。
時間がかかっている。
いらいらするのと脳内で作品がふくらむのとで、眠れない日が多い。