実家の二階の自分の部屋の出窓的なところに座っていると、下には両親の庭、正面遠方一面に広島市街地とそれをわずかにかぶせるように左手に山が見渡せる。もう少し手前に目をやると、近所で一件だけ残っていた田んぼの脇道からこちらに登ってくる人が時々見える。今は、もうここに水が張られることはない。
『この世界の片隅に』というアニメを年末に観た時に、サギが印象的に描かれているのだが、わたしにとっては「印象的に」というよりも「馴染みの感覚」に近かった。
でも、それが個人的な由来のある感覚なのか、映画の持つ力によるものなのかは、観た時にはよくわからなかった。
正月の二日に、ひとりで比治山にある広島市現代美術館に行って『世界が妙だ! 立石大河亞+横山裕一の漫画と絵画』を観た。
立石大河亞という作家についてはまったく知らず、横山裕一氏の作品目当てに出かけたら、とてもとてもよかった、「すっげーいい正月!」と唸ってもいいと思ってる。
特にやはり横山裕一さんの、アクリルやマーカーをつかって紙に描かれた一見シルクスクリーンのようにも見える小品や、いくつもの漫画の生原稿、そして原稿を取り込んでアニメーションにした映像が、持って帰りたいくらいだ。
立石大河亞氏の作品は、少し前の時代の息遣いとともにナンセンスギャグが炸裂していて、おもわず静かな美術館のなかで声をあげて笑ってしまう。だが、ものの見方が定まっているかのような、あるいは手品やパレードといった円環のある"仕立て"を思い出させる立石氏の作品よりも、横山裕一さんの運動沸き起こる、言語と戦い抜いている世界がわたしにはたまらない。
このお二人を並べてたっぷりと観れたのはよかった。
なんだか最近、東京の美術館で流行っている「誰にでも理解できるように丁寧な導入と解説」が無いのも新鮮だったのかもしれない。だが、図録はよくなかった。
この広島市現代美術館は、比治山下という路面電車の電停で降りると川を背に山を登っていった先にある。
私の通った中学と高校からは、バスに少し乗って路面電車に乗り換えて比治山下まで行って山を登るのだが、当時はまずは川べりに降りて行くことが多かったかもしれない。
その川べりに降りていく階段がすきだった。
あれは雁木というのだと、この正月に『ブラタモリ』の広島編を見て知った。ちなみにこの日まで『ブラタモリ』は『プラタモリ』だと思っていた、中身をよく知らなかったのでプラモデルな気分のタモリの番組的なイメージだったのに、テレビをよく見てみると『ブ』と書いてあって、まぁそうだよな。
『ブラタモリ』の広島編は、たまたま自分に縁のある場所がいくつか出てきて割とじっくり楽しんだ。わたしが8歳から19歳までを過ごした仁保の黄金山が出て、そのあとに、現在の両親の家がある方向に向かって船で川をタモリが行くが、その途中に「鷺島」と呼ばれているらしい中洲が紹介される。
それを見て、母が「ああだから、この近くによく鷺が来るんだね、あそこの田んぼによく来ていた」と言った。もしかしたら、方言で言ったかもしれないけれど、よく覚えていない。
わたしが、高校をサボって比治山下で路面電車を降りて雁木を降りて川べりに立つときにも鷺をよく見た。たぶん田んぼでも見た。
『この世界の片隅に』を観た時、わたしは鷺に高校時代の気分を思い出した気がする。
朝だか昼だかに、学校の前をバスで通過して路面電車に乗って川を眺めながら弁当を食べて美術館に行って、学校が終わるまでに高校に行く。
ある日、5時間目が始まる前に教室にすべりこんだら、友人が「あんた、何しに来たんね?」と笑っている、なぜなら、その日の5.6時間目は体育で、体育こそ私が心の底から憎んでやる気の無い時間であることはみんな知っていることだった、もちろん私だって行きたくなんかなかったが、完全に休むと自宅に連絡されかねないわけだから、その日はサボりたいなら体育に出るしかなかったのだ。
二階の出窓的なところに座って太陽をぼけーと浴びていると、窓のそばまで伸びたバラの枝にメジロがとまった。父が、ここ数年ほど庭でスズメを餌付けしており、朝夕にスズメが姦しくやってくる。そして、たまに大きな鳥、たとえばヒヨが来ると、父は追っ払おうとする。鷺はまだ来たことはないかもしれない。
知らないけれど。