2016/01/31

私と異なるものが、自由を与えている

美術展のオープニング・レセプションに顔を出さなくなって久しい。
特に行かないと決めたわけではなかったけれど、静かに作品だけを見たいというのもあって、人混みを避ける気持ちが強くなっていったのだろうし、
自分の活動基盤としての意味も含めて、興味のあるほうへ動いていたらすっかりギャラリーや美術館から足が遠のいていたという時期が随分と長くあった。

それでも、近年、再び展示という形式のもつ豊かさ、特に観客に開かれている仕組みに懐かしさと新鮮な気持ちを呼び覚まされている。
劇場は体を時間に固定しがちだが、確かに展示会場にはそれが少ない。

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数日前に、友人のMatthew Monahan が参加している『村上隆のスーパーフラット・コレクション』展のオープニングレセプションがあり、珍しく参加してきた。
横浜美術館には何度も通っているのに、初めてあの建築がいかに大きかったのかを実感させられた夜だった。
強烈なヴォリュームの物量と、おそらく「コレクション」として、他に類を見ることは簡単にできないであろうことが一目瞭然の守備範囲の広さが、建築それ自体を内側から否応なく押し広げるようだった。
友人とここってこんな広かったんだねーと顔を見合わせたのだが、展示によって、本来あるべきように、ひとつのまとまりのある空間として建築が見えてきたのが印象深い。
写真では見聞きしていても実物をみたことがなかった作品が多くあり、縄文から現代までに生き残ってきた「人工物」の数々を目の前にして、やはり呆然とするしかない。

そんななかに、Matthewの彫刻が数体展示されている。
少し話が飛ぶが、過去8年にわたって、私は美術大学の非常勤講師という仕事を務めさせてもらった。
その過程で、いつも心のどこかにあり、たびたび頭をかすめたのは、目の前の学生の中にもMatthew MonahanやLara Schnitger がいるはずだということだった。
彼らは私の古い友人であり、私が近寄ろうともしてこなかった純然たる巨大なギャラリーシステムの中で生きているアーティストたちであり、けれども、ここで最も重要なこととして言ってみたいのは、私が自分の領域と感じて育んできたアートとは違って、彼らはマテリアルと格闘しながら手に取れる「物」を作り出しているということ、そしてその「物」のなかには、プリミティブな、あるいは個人的な手つきと美術が培ってきた眼差しが同居しているという点だ。
私は油断すると「物質」からも「美術」からも心を離してしまいがちだが、彼らの作品を見て語り合うたびに、「物」を通してアートがあることの面白さをいつも思い出してきた。
そして、この、自分が作る作品との異なりをとても大切に感じる。

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アーティスト、おそらく美術家は本来多様な立場や手段に開かれている活動家である。(と、願いたい)
どのようなマテリアルやメディアでも、コンセプチュアルであってもポリティカルであっても私的であっても、ポップであっても抽象であっても、物語性であっても世界の仕組みのダイナミズムであっても、先人たちが積み上げてきた美術固有の問題に根ざしていても、それらの問題から離れようとしていても、
いずれにしても、アーティストは自分の手に、とても繊細なあなた自身と、アートが外の社会とブリッジを繰り返すことによって培ってきた「文脈」という、時に厄介な複雑さを同居させていいという確信を、学生たちの心のなかに小さくとも持って欲しいと考えてきた。

なぜなら、日本の美術大学の教育環境は、どうしても教える一人の人格に収まった手段や方法に依存しがちで、よほど注意して多様な教師を揃えない限り、なかなか「教師個人が影響を受けた時代のムーブメント」のようなものから眼差しが離れにくいように思う。
(そのことはもちろん、こんなことを書いている私こそが、小さく閉じた場所に立っていることを思い出させる。)
その結果、時に「あなた自身にしか由来しない問題」を、若い人が知らず知らずに自分自身に禁じてしまうような、教えてくれる人へ向かった勤勉さを身につけかねないような危険を感じて怖くなる。当然ながら、彼らだって制作を重ねるなかで、そういった呪縛からは解かれていくに違いないにしたって。
私塾であれば、それでいいだろう。
けれど、大学は私塾ではない。と思う。
時々本当にわかんなくはなる。

そして、学生は年間約200万円もの大金を支払っている。このことが私にはどうしても無視できなかった。

毎年、一ヶ月間だけとはいえ、20人前後の学生を目の前にして偉そうに立つことは、とても気恥ずかしく窮屈なことでもあったけれど、私には200万円の一部分が回り回って使われているのだから、オファーされた仕事としてできることはなんだろうか?と考え続けた8年間でもあった。(それはまぁ、どうやって出演料を捻出しながら公演を打てるだろうか?という、非常に大衆のお財布と密接に繋がった活動に、私自身が没頭した時期と重なった8年でもあるかからかもしれない。)
だから仕事として、
私は、過去から現在にわたるまでの多くのアーティストが開いてきた手段や立場の多様性を前提として、例え河村美雪個人にはわからなかったとしても、あなたにはあなた固有のメディアや問題が発見される可能性があり、それに向かいあうことが圧倒的に許可されていることを伝える、少なくとも伝えるチャンスを逃さないようにすることを、どうにかして大事にしたかった。
なので、時々、それはあなたが本当に触りたい問題なのかどうかを聞き続けることになり、かえって混乱を生じさせたかもしれない。

目の前には、私とは異なるタイプの可能性をもった一人一人がいるだろうことを思い、どうやったらそれを潰さない自分でいられるだろうか?と自分の言葉を頼りなく思うこともたびたびあった。
その不安から私を誘導してくれたのが、MattやLaraの作品に、そういった「物」を作らない私自身が複雑でぶっとい在り方を目撃して喜んでいるという実感だったように思う。
自分とは異なる手段や立場や活動がある。
だから素晴らしいのではないが、そのことが同時代を生きる"私たち"であることに、自由を植え付けてくれる。

そして、8年の間に何度も訪れた別の「目撃」についても書いておきたい。

学生とはいえ、彼らはアーティストであり、授業の時も卒業後もたくさんの、私には無いおもしろいものを見せてくれる。
その目撃は、なんて本当にすてきでありがたいことでしょう。何しろ、その時「先生」が消えて、わたしも、いつも通りにたったひとりで心細いままに立っていられるようになる。

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村上隆のスーパーフラット・コレクション』に戻る。
朝まで続くパーティのなかで、私たちは最終的に16年前と同じようにアホみたく踊って笑っていた。あとから、あそこで撮影された写真だけは公開されないことを祈ろうと苦笑し合ったが、実のところ、ああいう時のダンスは下手くそで最高に狂ってて、なにしろキュートだ。
オープニングレセプションとはなんだろう?
その夜の中では、多くのアーティストに会い、敬意を抱えたり、自身に絶望したり、呆れたり、嬉しくなったり、そして誰かの成したことを祝祭して、ただただパーッと派手に散らす。
特に、今回の展示を見た後では、ケチケチせずに太く生きることを心が求めずにいられない。たとえその火がすぐに消え去ってしまうとしても、今回は、なんだかあそこにあった強さを覚えていたいと思った。