なるべく、縁の遠いものを助けるようでありたい
そう、おもわず口にしたのは今年の4月中旬のことだった。
向かいには劇作家というのか脚本家というのか、ひとりの人が座っていて、わたしたちは東京都現代美術館の『キセイノセイキ』を見た帰りだった。誰か美術畑では無い人といってみようと思い立ち、ちょこちょこ顔を合わせたりはするもののゆっくりお話する機会のなかった人をお誘いした。
一年くらい前のある集まりだ。
わたしたちは有名な海外のダンス記録を映像で見て感想を言う場に居合わせた。
彼女はその有名なダンサーの動きを、「江頭みたいだと思った」的に言い表してしいて、うふふふと笑っていて、あんまりにもうれしそうで、わたしは爆笑してしまった、その前から作品は見ていてすきだった、でも、この江頭発言がハンコを押すようにしてわたしは彼女と話してみたいなと思ったんだとおもう。わたしは江頭をよくしらないのに、でも記憶のどこかにあるぐにゃぐにゃした動きは瞬時にYoutubeで今見ている超有名なコンテンポラリーダンスと結びついて、爆発的に笑っちゃった。
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1.
自分から誘ったくせに、わたしは『キセイノセイキ』のことをほとんど理解していなかった。(本当に悪い癖だとは思うものの、前情報をチェックすることをあまりしない上に、文字から入った情報を勘違いすることが多くて、告白すると「キセキノセイキ」だと思っていた。)
そんなだったから、行ってみたら想像していた以上にハードな内容に慌てつつも充実していておもしろく観入り、同時にふと政治色の濃い展示に誘ってよかったのかな?と気になって聞いてみると、一緒に行った人はおもしろがってくれていた。
ただ、ところどころなんだか薄ぼんやりとした作品があった。
その理由を知ったのは、展示を見て日が過ぎてからのことで、途端にTLやMLに『キセイノセイキ』が美術館からの規制にあっているという、わたしなんかは油断すると仕込んだネタなんだろうとスルーしてしまいかねない事実が断片的に、だが、堰をきったように流れてくるようになった。本当はもっと前から流れていたのに、気づかなかっただけなのかもしれない。
事情はわかりにくい。
というのも、ネット上に流れてくる口調からすると、この問題は、どうやらすでにどこかでは共有されていたような節が感じられるのに、ほんの少し外れたところにいる人間には、「ところどころなんだか薄ぼんやりとした作品があった。」という地点から出る契機となり得るだけの情報が「一発」ではやってこなかったからかもしれない。
そして、おそらく「一発ではやってこなかった」裏にこそ「事情」があるのだろう。
そして、「一発ではやってこなかった」が、わたしは少なくとも『スタジオ設立30周年記念 ピクサー展』を見たついでに、たまたま『キセイノセイキ』を見ることになった来場者よりは、情報を得ている。
この、現場の鑑賞者に情報が隠されている状況が、どこまで誰によって意図された結果なのかはわからないものの、一連の出来事のなかでも、わたしはとりわけゾワっとする。
隠す側があり、隠された側がある、いずれの視点からも「身内の外にいる鑑賞者」の存在が見えずらいのはなぜなんだろう?
「現代美術」は文脈依存が強いが故に、外部の人にはわかりにくいと言われる。
それが悪いことばかりだとはわたしは思わないのだけれど、同時に「外と共にある」こともまた、同じように「現代美術」と呼ばれるジャンルが意識的に内外へと提示し続けてきた問いだ。
それでもなお、「身内」の外につながることには、こうして言葉で述べる以上の複雑な手続きが必要なんだろうことが今回の件を通して見えてくる気がする。
現在において、わたしが『ピクサー展』の来場者よりも「事情」を把握できているのは、関係者をSNSでフォローしていることと、この春からアーティスツ・ギルド(AG)のメンバーになったために、AGのMLが流れてくるという理由以外には無い。
メンバーになったけれど、オープニングに行かなかったから事情を知るのが遅れた、とも言える。
アーティスツ・ギルドは、『キセイノセイキ』の企画組織である。
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AGのメンバーになったのは、ひとことで言えば「ご縁」です。
正直なところ、組織的な繋がりに「所属する」ことに対しては、わずかに逡巡した。
別に、何かに所属することをNGとするほどの主張があるわけではないのだけれど、どうにもなんとなく不安になる、という性癖を持っているらしい。
それでも、「ご縁」に与えられた繋がりを覗いてみようと決めたのには、30代後半になって、「アーティストにとってのセーフティーネットとは何か?」という問いと、社会的な後ろ盾を持たずに自由でいることの一面に含まれている「危険」の深刻さに直面した時期があったからだ。
わたしは、AGが政治的な思想や態度を同一にするものではないことを確認し、この繋がりに加えられることになった。
機材共有を掲げたAGが「セーフティネット」だとは決して言わないが、
「アーティストの連帯」が何を指すのか、どういった理由でそれへの言及が世界的に広がっているのか?私もまた、至るべきして興味を持つに至り、考えるためにここに参加する。
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2.
この春は他にも自らの肩書き的な変更が同時にいくつか起こり、所属することとセーフティネットの関係にそこはかとなく思いを馳せることがよくあった。
そんな時期だったからと言うとこじつけすぎだけれどまったく無縁でもない気分のなかで、数件のアート関係の支援をした。
そのうちの一件は、ニューヨーク在住の女性キュレイターが地下鉄で暴漢に襲われ、命はあるものの顔の整形手術を受けなければならなくなった、その費用は保険ではまかなえる額ではないので支援を募るというもので、キュレイターの友人たちが立ち上げたファウンドだ。
もう一件は、直接の交流は記憶に無いものの、わたしと同じ大学の一学年上に在籍していた女性、谷口緑猫さんの個展『ヒヤシンスと少年:谷口緑猫の軌跡』だ。
こちらも、彼女の友人たちが、その人の 死をきかっけにたちあげた運営組織による。
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なぜだろう、見知らぬその死を聞いたとき「どうして彼女は死に、自分は生きているのか?」という想いが知らず知らずのうちに止めようもなく湧き上がってきた。
「彼女が死んだ」
この死はまるで自分自身が死の淵にたっていた時間の証のようだった。
こころに近い死であり、でも知らない命だ。
ふとしたきっかけで「周囲」が消えたわたしの30代後半の頃に時計の針を重ねるようにして、彼女は死んだ。
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「あともう少しだった」
そう誰かが振り返ってつぶやいたとして、この「あともう少し」が指し示している到着地点が生なのか死なのか、それは未来からしか言えない、そんな「あともう少しだった」ポイントを経て誰かは死に、誰かは生き延び、あちこちの関係者のなかに掛け替えのなさが駆け巡っている。
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アートに業界というものがあるならば、それは人と人の縁による繋がりだけであってほしくない。
アーティストの人生は、社会保障の枠外にあり、人との縁によって守られて進むようなところがあることを、わたしも知っているし、恩恵をいつも受けてきたし、闇雲にこの隠されたシステムを否定することはしない。
けれど、年を経ることで切実さを増した想いがある。
縁の遠いものも助ける生き方をしたい。
あるいは、縁の外にも複数の足場を築いておかなければならない。
人と人の繋がりがセーフティネットなのは言うまでもないことだけれど、
でも、それでは間に合わない出来事が人生には起こる。
血縁が最初から与えらえない人生もある。
縁を紡ぎにくい精神を抱える人もある。
また、時にはまったくの他人や制度だけが引き上げられる闇もある。
縁にしか接着力がない世界は危険であり、そこには社会はない。
どのような魅力を放たない人生も、すべからく守られる契機を与えられるという理想が、社会が目覚めてきた進化の一側面であり、アートがその戦いを支えた日もあるだろう。
それは、表現の自由の系譜でもある。
様々な運動や思想に、個人的な経験はパンチをくらわせては進ませてきた。
繰り返すなら、アートの歴史は、縁によって支えられもするが、縁の選定を否定する。市民の選定を否定する。
いや、選定は起こる。
だから、わたしたちはそのプロセスと迷いと思い込みと不和と終わらない言い争いを公開する。
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縁の遠いものを助ける。
縁の遠いものに助けられる。
そんな乾いた豊かさを体にまとわりつかせて、この先を生きていきたい。
「あともう少しだった」
あのポイントの後の日々が、重ねられている。
あのポイントに立った二人の女性と、その周辺で動いた人は、わたしなのだ。
わたしの親で、わたしの友達で、見知らぬ遠い人だ。
死が、遠い命のなかでメタモルフォーゼしてくれるのを、わたしは過去から見ている。
親や友や業界を包み込む、やがて愛に似るものを彼方から託されている。
わたしは、「なるべく、縁の遠いものを助けるようでありたいと思ってて」と、4月中旬のある日にひとりの女性に語りかけた、その言葉は不意に出たものだけれど、彼女や彼女の作品を知らなければでなかった、不意にどこからか何が主体なのかも不明の信頼が投げ出された。