2014/08/26

「これっぽっち」のバリエーション

0.
先週はパーティや呑み続きで、料理ばっかりしていた気がする。
初めて一人暮らしをはじめた時は、やっぱり名前のついている料理しか作れなかったし、そもそも料理といって思いつくものは自宅で食べていたものだから、なにもかもが今思えば手が込んでいるか、もしくは大げさだった。
ステーキとか、茶碗蒸しとか、、、、。
そのころによく作っていたもので、「鮭の南蛮漬け」がある。
ふと食べたくなった「鮭南蛮」をアーティスト友たちとのパーティに用意し、「夏野菜の冷やし煮鉢」と「鶏肉のレモンハーブ蒸し」を作ったところで、京都の直己はんがパーティに行くわーと連絡してきたので、あとは魔女に任せることにした。
魔女料理最高。
このために新幹線でふらりである。
人の料理は、どこか気持ちが重たかったりもする。
でも、直己はんに限っては重たさがまったくなくて、呑みながらふらりふらりと作ってくれる。

 週が開けてからは、ハーブをたっぷり入れた肉と豆腐の種を使って、野菜の肉詰めで日々を乗り切っている。




3.2
理解の範疇を超えた犯罪が起こるとき、「異常性愛」がクローズアップされることがある。調べると、多様な性の嗜好があるなぁとも思うし、これっぽっちか、とも思う。
もっと言うと、何に欲情するのか?は本当はグレーの移ろいのように「これ」と取り上げがたい個性そのものに思えるのに、「性のファンタジー」にまで落とし込まれた段階になると、「これっぽっち」のバリエーションになる。
人間は確かに心に闇を持っているし、その闇の多くは、その人の心の中にある「個性的な性の難しさ」と、生来的にも事後的にも、容易に繋がる。
でも、今回の事件はやっぱり、どこかそんな手に負えないようなものではなくて、うまく逃がすこともできた欲求のように見えてくる、だから重たい気持ちになるのかな。

6.2
パーティの翌日は、舞台関係の人たちとのごはん。
といってもその半分は、はじめましてで、不思議な会だった。
いろいろなトピックが出たけれど、 「プロとしての軸」は、キャリアの中で幾度か更新されていくんだろうなぁと、聞いていた。
プライドや拘りがあるのは当然のこととして、全員が一人で自分の看板を掲げて「共同作業」の現場に居るのが、舞台の仕事だ。
若い舞台美術家は、信頼云々は結果論でしか持ちだしてはいけないとおもう、と言って目が覚めるようにカッコよかったし、わたしの知人の"うまくできなかった仕事の話"には「更新する」ことの複雑さを考えさせてくれる。
仕事のなかには、どうしても避けては通れない辛いことが起こることがある。
全力をつくし、プライドをかけ、だからこそ、開かれるはずだった居場所が閉ざされることがある。
他人のそういった話からは、「あなたには必ず本来の実力を提示し直すチャンスが訪れますよ」ということが客観的に見えてくるけれど、当事者であれば、それ以来抱えている虚無のほうが目立って実感を与える。
けれども、最初から仕事に捕われている人間というのは、仕事によって回復する。
そして仕事は、人が人を許してビールに誘い合うような時間に支えられている。

7.
一冊、「移民する本」に関連して読みたい本があるのだけれど、一応学術書らしくって7000円もして、国会図書館にしかおいてなくて、
こういう時に、予算を自分で持っていないと厳しいなーとおもう。
でも、学術書というのもバカ売れしたりしない割に手間隙かかってるのだから、7000円は妥当なのだ。

わたしは学術書を読むことはあるけれど、それは回答では無い。
猛暑が数日は収まるようだ。
広島は大変なことになっている。
回答の無いことに、何度でも向き合わされるものですなーい、夏の宿題でもあるまいに。