2013/07/19

過去との距離


どうにも体調が戻らず。
仕事しては横になり、横になっては仕事してを繰り返している。
そうはいったって、この体で人生半分きたなーと思うようにもなった。
残り半分は、ビールでしのぐんだ。(だから駄目なのか)
子供のころはビールなんかなかったし、体育もやらなきゃいけなかったし、大人って最高だ。このあいだ、レモネードのビールカクテルを飲んだら、おいしかった。

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「(憎しみを)貫けるとおもった。」
貫けなくなった時、会えなくなった人がいよいよ遠のいていくことに気づく。
「二十四時間の情事」のこの台詞には、戦争や過去との距離の変遷が現れている。
憎しみを介して何度でも触れることができた過去が、薄らいでいく。
そのとき、心は、本来の「自由の広がり」を取り戻しはじめている。
記憶の縛りを受けていない広がりが、取り戻されるのだ。
さびしさと引き換えにするように、再び戦う勇気が現れる。

忘れることをメディアから許可されなくなる時代に、人間は自由をどうやって広げていくんだろう?
これって、文字ができたときからの普遍的な問いなのかもしれないけれど。

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記憶を縛るものを繰り返し受け止める必要は、あるのかな?
ずっと、答えはでないままだ。